言葉だけでは人を変えることはできない。 | ЯαYの日記

ЯαYの日記

信なくば立たず

仮にとある人に問題点があるとします。
そこを修正すれば随分人生的にうまくいく。
この状態にある人はかなり多い。


さてその問題点を認識して、更に変わろうと思えるような人なら、極端に言えばその人に宛てた手紙一通で済む。
その人はその手紙を何度も読んでくれるでしょうから。
ここでなぜ何度も読むかと言うと、これは仮に一度読んだだけで完全に理解できたとしても意味があるんです。
文章の内容を理解してそれに納得したり感激したりしても、それだけでは変わりません。
その内容を自分に「定着」させないと駄目なわけです。
「定着」していないとそれが自分の言動更には思考に反映しません。
これはある意味勉強と同じですね。
「定着」といのは単に「暗記する」というのとは違います。
解りやすく言えば「概念を覚える」というのが「定着する」という事です。
この為に何度も読む必要があるんですね。
しかも字面を覚えるのではなく、毎回意味を咀嚼して読む。
無論それが必要だと直感的に理解している人は、上記の内容が全く頭に無くても何度も読みます。
これは要するにキリスト教に信仰を持っている人が聖書を何度も読むのと似た感覚なのかもしれません。
これを以前日記(9月2日)の私の言い方をすれば「潜入」ということになります。
相手の考え方をまるごと暗記する→相手の思考を自分の中で内面化する→潜入
というわけです。
潜入は例えばそれが文章なら何度も咀嚼して読込むとかそういう方法しかありません。
慣れれば少ない回数で頭に入れられるようになります。
これは年齢とか記憶力とか関係ありません。
自らを変えようと思っている人は、たった一つの情報でもこのように自ら繰返しやってくれます。


だから常々言っているように、人は「素材」ではなく「姿勢」が大切ということです。

どんなに欠点が多い人でも、ことに臨む「姿勢」があれば果てしなく伸びていけます。


しかし自ら変わろうとする気があまり無い場合、あっても受身の場合はそうはいきません。
上記のような手紙を、それこそ何十回も読むのと同じ位直接的に「対話」しなければならない。
その基準として一ヶ月にメール800通(コレ実際した人がいる。
これだけやって少し相手も考えてくれるかなぁというレベルです。
当然そこには文面に書いてある内容だけでなくて、相手に対して「何とかしてあげたい」という気持ちが伝わるのもかなり大切。と言うか無ければ無理でしょう。
しかし自分の相手に対する「善意」というものは、それがかなり強いものであっても一回や二回の対話では伝わらないもののようです。
多分めげずにそれこそ何百回も対話を繰返して伝わるものなのでしょう。
それは相手が「自分の為にこんだけやってくれるんなら本物だ」と思わせる位の「物量」が必要なわけです。
しかし自分の気持ちは最初も、1000回その人と「対話」した後も変わらないわけです。
相手は1000回対話しないとこちらの気持ちを解ってくれない。
そう考えますと、人というのは大変傲慢なものではないかと思ったりもします。
つまり相手は全くこちらの心情を理解どころか理解しようとさえせず、自分にとって理解し易い形式しか受け入れないという事です。それに適合させるには、大変な労力を相手に強いる。
澪はそういう傲慢なタイプの人は割と早期に非効率的だとして切捨ててしまうのですが、そういう人を「救済」しようと思う人って存在するんですよね。


こういう心情面でのケアは女性の方が男性よりずっと得意でしょう。
なぜそうなのかといいますとジェンダー(役割)でしょうね。
その根拠は文化にあるのか、脳の構造的なものにあるのかは別にして。
この議論は議論で大問題なのですが(^_^;)
女性はロジカルに考えるのは苦手だけど、そういう論理とか言葉を介さない相手の感情や心情を察するのに優れています。
更に直接的にそれを扱うのも当然うまい。
女性自身が感情的生物なので自分を持て余す場合も多く、だから他人がそういう状態になっても許容できるという「強み」もある。
男性である私の場合はそれは中々無理な話なわけですね(^_^;)