こいつ何やってんだって 思ってるでしょ はいはい

 

それ そのまま もしも当時の私に会えることができるのならば 言ってやりたいですわ

 

なんか このブログ 思いのまま書いてますと 話がひっちゃかめっちゃかで お前 いつの話してんだよー って聞こえてきそうですが すいませんどうかお許しください

 

まず時代背景から お話のアイドルが誰か想像しながら お読みください

 

何故なら その事実(会っていたこと)を知ったのは  30年も時が過ぎたころだったのですから。

 

あらためて 私 1958年生まれです はい スゲーじいちゃんじゃん ってか?

 

バンドをやっていたのは 正確には高校1年後半から高校3年生の卒業まで 

 

しかしその間は実に濃厚 初舞台で既にチケット販売 つまりお金を取ってたという

 

田舎の町では当時よくやっていた 土曜夜市というか商店街の特設ステージで演奏し

 

ヤマハのお店の援助で 東京のクラシックの先生を招いての楽譜の勉強や レコーディングのレクチァーを受けたり

 

当時ヤマハの関係施設の 合歓の里に 楽器店の援助(スポンサー)で合宿に行ってたり

 

プロの女性歌手の講演の際にバック演奏したり 

 

そんな中 今はなき 広島の宮島への乗船場近くにあった娯楽施設 広島ナタリーの屋外プールに作った 簡単なステージで演奏をしましたが 実はその時に デビュー間もない あるアイドルと同じステージだったのです

 

もちろん まだテレビに出ていない時代で ファンと言われる人も全くいなく 楽屋も入り口は一緒なので出入りの姿は ほんとすぐそばで拝見しました。

 

しかし 当時の私は全くアイドルに興味がなく そのためその後ものすごいアイドルになるなんて想像もしていませんでした

 

確かに 当時を振り返ると 高校生の私の眼には 大学生ほどの年頃の身近にいるお姉さんって感じでした。

 

あらためて調べてみると デビューしたものの 全く売れずにメインボーカルを入れ変えた時期の1974年から 1975年だったように記憶しています

 

まさに その後爆発的に人気があがり テレビに引っ張りだこ の超人気アイドルになったわけです

 

サインもらっておけばよかったなー

 

で なんと その事実を知ったのは 音楽から離れ 地元からも仕事の関係で離れた生活を長年過ごし 両親が亡くなった事で50歳を過ぎて帰省し 当時の音楽仲間の集いに声がかかり 懐かしい話をしているときにはじめて知ったのです。

 

えー マジでーー おぼろげな記憶の中で改めて考えると そういわれると・・・・えーーーー

 

私の中では 一緒に行った同い年のバンドと私のバンドの他のメンバー全員が彼女を連れてきていた中で 唯一彼女がいない私は姉を連れていったのを覚えていたぐらいの話なのでしたから

 

そうそう 高校生でしょ ギャラの代わりに園内のアトラクションのフリーパスをもらったんですよ。

 

懐かしいなー 地元新聞にも出たんですよ 当時は地元ではそこそこ人気あったんだよねー バンドやめて用事で銀行に行った際には窓口の女性行員さんに ○○のギターの方ですよねって 声かかけられたんですから (プチ自慢)

 

ついでに言うと 相当援助してくれた楽器店さん どう考えたって高校卒業したら音楽に関わった仕事や東京に行ってみるとかあるだろうと想像してたんでしょうが 

” これから みんなは 卒業したらどうするの?” って聞かれて ”全員 就職先も進学先も決まりました 本当にありがとうございました” ってよどみなくお礼を言ったよねー

 

後から他のバンドの人に聞いたところでは もう二度と人は育てん! といったそうで しばらくして お店の中に作ったスタジオや簡易ステージもぶっ壊したそうです

 

あらためて ごめんなさい。

 

ま 己の実力って 自身が一番よくわかってますから。

 

あ アイドルの名前忘れてたわー 危ない危ない キャンディーズです

 

私 事実を知らずに 音楽離れて当分 ランちゃんいいなー スーちゃんいいなーなんて テレビを見ながらワクワクしてたのにねーー