※【重要】こちらの記事は以下の内容のネタバレを含みます
・一部カードの特訓ボイス
・104期活動記録第1話まで
・104期4月度Fes×LIVE
このブログは急遽、衝動的に執筆されたものなので私の気分で消える可能性があります。ご了承ください。
結論から先に言います。
まず、104期4月度FLを観て「いいじゃん! 104期面白くなってきたじゃん」と心の底から思えた方へ。あなたとってこのブログは釈迦に説法です。お時間を割いてまでご覧になる必要はありません。
そして、モヤモヤした何かを抱えて過ごされている方へ、自分の感性がおかしいのではないかと思い悩まれることもあるでしょう。あなたはおかしくありません。どうかその心を肯定してあげてください。あなたも大丈夫です。
ここからは私がどうやって合理化し乗り切ったか、というのをつらつらと綴っていきます。
104期活動記録第1話と4月度Fes×LIVEは、変化と伝統に焦点が当てられていました。コンテンツ的には今後、もっとすごいものが来る可能性があり、来たる大きな変化に対するワクチンのようなものだったのでしょう。そうだとすればこの気持ちの名前は副反応ですね(そんなにうまいこと言えてない)。
さて、RM吟子の特訓ボイスによると自分を励ます歌であったとされる「逆さまの歌」は半世紀を経て現代までに題名も、歌詞も、振り付けも、衣装も、その根本にあった観念さえも変わって「Reflection in the mirror」になりました。変わらなかったものがあるとするなら、それはこの楽曲に対する思い、でしょうか。
それでも、これは本当に逆さまの歌と呼べるのかという問題は残っています(所謂テセウスの船というやつです)。吟子が憤りを露にするのもわかるというか、わかってしまいました。
そして、もし私たちが4月度Fes×LIVEで104期new ver.を観た時に「こんなの○○(任意の伝統曲)じゃない」と、あの時の吟子と同じ感情を抱いたのなら、きっと今頃ライターは「しめしめ」と思っていることでしょう。
このような改変は身の回りでもそれなりに存在します。大多数の方がご存じであろう「きらきら星」は替え歌に替え歌を重ねて生まれた替え歌であり、諸説ありますがオリジナルはフランス語で書かれた恋の詩であると言われています。そちらの方を見ていくと星(Étoile)なんて単語は一度も登場しません。(フランス語のWikipediaで"Ah ! vous dirai-je, maman"と検索するといろいろ出てきます。)
具体例を挙げ出したらきりがありませんが、桃太郎、浦島太郎など、日本昔話も当たり前のようにストーリーに改変が加えられています。
ここ数日、上で示したような事例をいくつもリサーチしていったことで、そもそも未来に伝わっていくこと自体がある種の偉業であるということに気づきました。生存者バイアスのせいで本質が見えにくいのですが、この世界には忘れ去られた曲・物語がごまんとあるはずで、蓮ノ空の楽曲だって1000年後に残っているか? と言われたらYESとは言い切れないでしょう。
そして、伝統曲である以上、未来へ受け継がれ行く過程で形が変わっていくのは避けられないことだということも、何とか呑み込むことができました。これは私の好きな楽曲の歌詞の受け売りなのですが「変わらないために、変わり続ける」というやつなのだと思います。
(なおXのことは引き続きTwitterと呼ぶ模様。)
これにより「変化」という部分に関しては何とか折り合いがつきました。そんな私の心に浮かび上がったの次なる問題は「とりあえずいい感じのアレンジを加えただけで終わっていないか?」という疑問でした。
まず、伝統曲にアレンジを入れようという発想は104期1話においてスクールアイドルノート全て見て改変記録を探したからでしたよね。ということはそこから何かしらのインスピレーションを得ていたに違いありません。よってアレンジの一つ一つに意味があってしかるべきなのです。しかしながらスリーズブーケ以外はこの部分が深堀りされることはありませんでした(スリブも楽曲に関するに直接的な言及はありませんでした。端的に言って尺とネタバレの問題でしょう)。
そもそも、アレンジの意図をいちいちコンポーザーに問いただすのも変な話ですし、ディティールに拘りすぎるとライターやエンジニアの仕事が激増してしまいますし、行間を読むというのも楽しみ方の一つですから、我々に見える形で描写されることないでしょう。
「見えない」からこそ必要なのが「解釈」という工程です。
以下は、私が何度もアーカイブを見返して、この疑問に対して足掻いた結果であり、妄想100%の文章なので鵜呑みにしないでください。
少しでも解釈違いだと思ったら即ブラウザバック(スマホの方は戻るボタンを押して)してください。
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アイデンティティは着物をベースとした衣装やその音階から、元々三味線などの和楽器を使った曲だったと推測できます。BPMが低いのもその時の名残でしょう。しかし、今はギターやドラムをメインにした構成になりました。そうなればBPMを低いまま維持する必要はなく、ぶち上がる曲にしちゃえばよくね? という発想に至るのは理解できます。衣装がとてもよかったです。
Sparkly Spotはボサノバアレンジ? というのでしょうか。徒町の「決めるのは自分だ」が良くて、これはこれでありかなと思っていました。ユニットとしてあと3回くらい変身を残していそうなのも含めて楽しみです。こんなのデュエット前提だろ、という歌詞割りはうまく再構成されていたと思いますし、振り付けに関しても元々激しかったわけではありませんが、綴理とさやか基準で作るとハードルが高すぎるのでBPMを下げたのは初心者の徒町にも配慮した優しさなのかなと想像しています。
Reflection in the mirrorは原点回帰と進化の融合。103期ver.とは打って変わったサウンドに琴っぽい音色がいい感じのアクセントになっていました。吟子監修のもと芸学部時代の逆さまの歌の要素を取り入れた形であると考えられます。我々が逆さまの歌を知るすべがない以上、考察はここまでで限界でしょう。
新RMは良い部分もたくさんあるけど、変えてほしくなかった部分もたくさんあるので、一番苦しみました。さようなら、ラスサビ特大跳びポさん。お元気で。
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結局何が言いたいかと言うと、こういう感情は大抵の場合、時間をかけてじっくり言葉にしていくしかないということです(これには個人差があると思います。どれだけ時間がかかってもいいのです)。
最後に
103期ver. 104期ver.もみんな違ってみんないいので、どっちも大事にしていきたいですね。それでもどれだけ議論したところで○○期の方が好きという気持ちは出てくると思います。こればかりは好き嫌いの問題なので仕方ありません。
私の考えはつまるところ「嫌い」を「まあそんなに悪くないじゃん」くらいに持っていければいいよねという話なのだと思います。
ただ、103期ver.は2nd神戸で見納めになってしまう可能性があるので現地チケットが取れなかった皆さんも全力で配信買いましょう。(※まだ103期ver.を現地回収できるチャンスがなくなると決まったわけではありません。)
私も現地は取れなかったのでもし素顔のピクセルが披露されたら泣きます。もうCD積むのやめませんか。
それでは、また、どこかで。
バイめぐ〜