自分で納得する | ずぼらママのお気楽育児学

自分で納得する

先日いただいたコメントにとても興味深いものがありました。ご自身がADHDであるとご紹介くださった方からの視点で、コメント引用OKをいただきましたので以下考察していきます。

親目線での経験談や意見はとても有益ですし、またわかりあえるという意味でホッとできる瞬間でもあります。ブログってありがたいな~と支えられています。しかし、発達障害というくくりの中で苦い経験を重ねていらしたご本人から教えていただける事、とても嬉しかったです。

前置きが長くなりましたが、以下青字引用です。


「出来る様になった」でも、子どもが自分をころして社会に馴染むのと、ちゃんと自分で納得して馴染むのは全然違うので気をつけてあげて下さい。


ここはまさに息子が保育園や小学校に行っていた時の様子です。顔は青ざめ、身体はこわばり、感情という感情はすべて押し殺して門をくぐっていたと思います。ですから学校では一切問題は起こさないわけです。というか、存在さえ見せないというか。

こんな様子を見て親としては休ませようかと思うのですが、『また休ませちゃうの?ママが甘いから。それじゃあ、将来困るでしょ。何が嫌で休むの?うちの子だって学校嫌だって言いながら行くよ。』と耳元にささやき声がきこえて来る気がして、要は私がその主なき声に勝てず、息子を無理やり学校につれて行っていたわけです。馴染むだろう、克服するだろうと、根拠のない予測を立てていたといえます。しかしそれは、子供が自分を殺していた結果であり、そこに息子の時間など存在しなかったのかもしれません。無駄な時間でした。

今学校が変わり、毎日通っています。
当初はいろいろ文句もあったようですが、『休みたい』と言う事が無くなったのは大きな変化かと思います。今朝冗談っぽく『大雪降って学校休校になればいい』と言っていた息子に、『そしたら今日帰りに遊びに来てくれる●●クンとの予定もなくなるね。』と返事すると、それは大変!学校いかなきゃ!と張り切りました。

以前の息子ならありえません。以前なら●●君と今日遊ばなくてもいい・・・としぼんでいくばかりだったのですが、今は●●君と今日も遊ぶ!と意気込んで学校に向かうわけです。

これが自分で納得して馴染むという姿なのかもしれません。

その証拠に朝学校に行く時間にでかける準備ができるようになりました。(←って威張れた話ではありませんが。)以前は追いたてて、引きずって、それでも時間が過ぎて、怒鳴って、やっと出かけるというパターンばかりで、朝息子が学校に行くとどっと疲れが出たものです。

今は時間こそ何度か伝えますが、きっちりに外に出てくるようになりました。学校に行くという意識が変わってきたのでしょう。嬉しい変化です。


発達障害の人たちは出来ないことで周りからダメとか叱られることが多いので2次障害を抱えやすいので。

この2次障害というのはあくまで理論上のこと、うちの息子に限っては大丈夫とたかをくくっていた気がします。ちょっとドキっとしました。確かに出来ない(というより、理解の仕方が違う)事が多いし、あせらせてしまうと放棄してしまうので、なるべく丁寧に対応するようにしています。

それから、何が出来ないのかを親が把握すること、これは発達障害の有無にかかわらず大事な事ですよね。息子に関していえば『どうせ僕はできない』という超ネガティブな考えが根底にこびりついているので、分からない事をひとつずつ解決して自信を持たせるようにしたいのですが、わからない自分と向き合う事もなかなかハードルが高く、ある種知恵比べの状態です。

今上手くいきつつあるのは

●帰宅したら即宿題(←って言っても、10分くらいで終わる超楽勝宿題です)
●朝ご飯が終わったら、その流れで算数問題集1ページ(←これも10分くらいで終わります。)

既に数か月継続していますので、このパターン化は成功したと言っていいと思います。
新しい事を生活に組み込む事を拒絶するので、パターン化するまでは本当に大変で、毎日毎日言い合いが続きいましたが、一度パターン化してしまうと今までのバトルはなんだったのか、というくらいすんなり進みます。算数問題も同じで、苦手意識を持ってしまうとシャットアウトしてしまうのですが、分かってしまうと楽しそうに解くんですね。パターン化に強い証拠だと思います。

息子の言い分ですと、人生のほとんどが苦手なものだらけのようなので、挑戦したいと思える物が見つかった時に足を踏み出す勇気が持てるよう、苦手な物をひとつずつつぶしていこうと思います。その中には、『これはむしろ上手な方でしょ』という物も含まれています。

息子に無いのは、子供が持つ根拠のない自信です。それからありえないほどの大きな夢もありません。常にとても現実的な希望を口にしています。

ADHDの子は概して『気にしい』な所があるような印象がありますので、もしかしたら世界をすごく冷静に見ているから、子供にありがちな自分を夢の世界に投影するような事をせず、自分はそこまでじゃないな、と客観視してしまうのかもしれません。ある意味賢いし、大人より大人なのかもしれません。

そういう意味で、ADHDの子は自分で納得するという事を分かっていると言っていいでしょう。それが頑固にみえたり、流れに迎合できない子という風に取られてしまっているのかもしれません。

反面、もっと夢も見てもらいたい。それは親としての願いでもあります。
人生で夢を見ていられる時期は短いですからね。