発達障害バブル | ずぼらママのお気楽育児学

発達障害バブル

今日も青字は湯汲先生のブログの引用です。

発達障害バブルとは良く言ったものだと思いました。確かにお母さんが10人集まればそこに必ず発達障害の子が1人はいます。じゃあ、その子と他の子は何が違うのか、と聞かれたら大した差では無いんですね。

ちょっと騒がしい
ちょっと我が強い
ちょっと落ち着かない

この、ちょっと、の部分が許せる範疇かどうかは日頃のお母さんの交流具合による気がします。そして、あの子もこの子も発達障害だなんて、ちょっと乱発されてるなと言うのは生活の中で実感していました。そしてそのちょっと変わった子たちはお互い引き合うものがあるようで、仲が良いのも事実です。

ただ、ちょっと変わった子が2人になると、パワーが倍増しますので迷惑も倍増します。
そこらへんの周囲の理解を得るのはなかなか骨の折れる点であるのは事実ですね。私も毎日毎日外を歩く時には頭を下げっぱなしでした。会う人会う人に謝って歩くわけです。木に登ってごめんなさい、塀に登ってごめんなさい、走ってごめんなさい、こんな事までというありとあらゆる事で謝って歩いていました。

『またお宅』ってなっちゃいますからね。仕方ありません。今は木に登っても大丈夫な環境に住んでいるので、謝る事はぐんと少なくなりました。精神的に楽ですね。

確かに、診断名がつくことで、覚悟が決まったり全部を受け入れようと思えるきっかけにはなると思います。しかしその反面、レッテルを貼られるという危険も隣り合わせなわけです。

息子が保育園から幼稚園に転園せざるをえず、なんとか受け入れていただいた園でも最初の1年はお誕生会に一切参加せずに園庭をフラフラしていたんですね。もちろんその事実を聞かされた時にはいつものごとく謝りました。しかしその園長先生の力強いお言葉に涙したのも事実です。

園長先生は『いいんですよ。その子の育ちがありますから、卒園までには仕上げますから。』とおっしゃってくださいました。そしてその言葉通り、卒園を待たず年長に入ると毎月のお誕生会にしっかり参加できるようになっていました。

この時になんとなくわかった事があります。

今出来ないからダメなのではなく、何年後に●●が出来るようにしておこう。という長い流れで成長を確認したり、リードしていくことが子育てなのだ、という事です。

ですから、今も色々出来ない事がありますし、腹が立つ事も多いですが、小学校卒業の時にどういう状況に仕上げるか、ここがブレ無ければ大丈夫と勝手に思っています。

一般社会に出れば発達障害だから、という下駄は履かせてもらえません。
底上げできる間に徹底的に基礎を作り上げておこうと思う訳です。

思うだけで、なかなか実行は難しいのですが・・・・・・