弧育て | ずぼらママのお気楽育児学

弧育て

今日も青字は湯汲先生のブログの引用ですがADHDがらみ、というよりは育児一般の内容です。

言うことをきかないお子さんに悩むお母さんの生活だそうです。湯汲先生の所見でポイントは以下の3つにあるとのこと。

一つは言葉かけの内容です。
子ども言葉ではなく、大人の言い方で息子に語りかけているそうです。たとえば「世界には飢餓で苦しんでいる大勢の人たちがいます。食物は大切です」。これが、子どもが嫌いなものを食べないときの説明です。いうまでもなく四歳には難しすぎます。


自分にはできない判断を求められれば、子どもは混乱します。こういうことが積み重なると、大人のいうことを聞かなくなります。


子どもと向かい合いきちんと話し合うそうです。ところがよく聞くと、子どもと一緒に何かをやるのは苦手のようです。一緒に料理を作る、掃除をするなど、これまでしたことがないそうです。一緒の買い物も苦手とのことでした。子どものペースがわからないからのようです。食事も、子どもはおおむね一人で食べているといいます。



湯汲先生の結論としては、以下の通り、一人で頑張って育てようとせずに身近に相談できる人がいれば・・・とのこと。

〈弧育て〉、つまりは孤独での子育ては辛いものです。せっかく親になれたのに、心からの喜びを味わえないお母さんが可哀想でなりません。フランクに相談できる人が身近にいれば、子育てを楽しめるのにとも思います。

確かにそうなのですが、現実問題として今のお母さん達の生活には『比較と競争』しか存在していないように思えます。人と比べても仕方ないと言われる一方で、6か月検診や1歳検診に行くと『あら、だいたいの子はそろそろ●●できるんですけどね。』と比較され、診断される。

そして出来ないと、『おかあさん、甘やかしちゃっているのかな』となる。

本来育ちに差があって当然というスタンスなら『今、●●が出来ていないので、ここをこういう風にすることで成長を促せますからね、やってみてください。』というのがあってしかるべきアドバイスだと思うんですね。でも現実は違う。

また道を歩いているだけで『あら、もう歩くのにまだおむつ取れてないの?だめね、最近のママは。』と知らない人に言われてしまう。その日は長時間移動だったから、たまたまおむつだったのかもしれないのに。

ママ友達を持ちたがらない人もありますが、実際にママ友達をたくさん持ち始めて、道での立ち話の価値とか公園での情報交換の意味を身をもって知りましたので、やはり子供を持ったら子供と一緒に目的の無い外出を沢山するべきだと思います。時間の制限がないから子供の本来やりたい事もみえますし、性格も感じ取れます。また立ち話で気分が救われる事もたくさんあります。


たぶん上記引用のお母さんも、きっちり、しっかり育てようと頑張っていたのでしょう。でも子供本人が伸びていこうとする道を先に止めてしまっていた可能性もありますよね。比較対象となりうる不特定多数の他のお子さんに引けを取らないようにと、無意識のうちにお母さん自身をがんじがらめにしてしまっていたのかもしれません。


私自身も子供がちょっと変わっているという点を指摘される事がとても苦痛だった時期があります。でもそれを含めて自分の子ですからね、良い方向に伸ばして行くことだけに専心しています。

私は植物を育てるのが好きなのですが、新芽が出るたびに子育てと同じだな~と感じています。ここから芽が出てくれたら全体的に格好いいのに、絶対違うところから芽が出るものです。でもそれでもその芽を伸ばしていくと、最終的にはバランスの良いスタイルで育っていくんですね。

葉っぱちゃんになら出来るのに、なんでわが子だと寛大な気持ちになれないんだろう。

わたしの永遠の課題です。