ADHDと学級崩壊 | ずぼらママのお気楽育児学

ADHDと学級崩壊

引き続き青字は前回と同じ回の湯汲先生のブログからの引用です。

後半の部分は医療者・教育者の観点と保護者側の観点での違いを感じています。


多動の子が学級崩壊を引き起こしている、とよくいわれます。学級崩壊のひとつの原因は、子どもたちの間に集団ができず、一人の先生がバラバラの四十人を相手にして格闘せざるを得なくなるからです。

確かにこれは実際息子のクラスでも保護者の大半が声を上げていました。2年生の時の先生は特に1人でその子とその他大勢の子ども達という形で対応していましたので、バラバラになってしかるべき結果だったと思います。

崩壊状態の教室のなかでは、たしかに多動の子は目立ちます。だから問題視されるのでしょうが、子ども集団から排斥されがちな存在です

子供達よりも先に保護者がその子を排除しようとしていました。それは見ていてとても辛い状況でもありました。私は数名の保護者と団結してサブの先生をつけてください、という活動を自治体や学校を相手に動きました。おかげさまでパートタイムのサポートの先生がつき、クラスはだいぶ落ち着きました。

その子を排除するのではなく、その子を含めてクラス運営が円滑に行われるようにするにはどうしたら良いか、という方法で考えない限り、問題ある子は出て行けという雰囲気が出来上がってしまうと思いますし、教育の場としてはそれはとても残念な環境だと思います。


ちなみに学級崩壊では、それ以前にクラス全体が落ち着かなくなり、先生の指示に反抗するなど子どもたちにマイナス方向の同調圧力が働きだします。このためにおとなしい子たちもいうことをきかなくなり、ダムが決壊するように一気に教育が成立しなくなるように思います。

私は赤ちゃんを抱っこするスリングをご紹介していますが、このスリングでの抱っこが赤ちゃんの腰と背中の成育にとても良いというコメントを幼児体操教室の先生からお話いただいた事があります。

今の子供たちは、小さい頃からベビーカー、やわらかいソファ、歩かない生活にくわえて、外遊びをしないという、背中の筋力が育たない中で生活していますので小学校に入った時に座っていられない子が増えているそうです。

これは多動のいかんにかかわらず、全体の傾向として座れない子は増えている、という前提がありそうです。座る事に対応する身体が出来ていない子供たちを先生がルールという枠に収めようと必死になるわけですから、その力加減がわるければクラスはバラバラになるでしょう。学級崩壊はADHDの子が引き金になる場合もあるかもしれませんが、ADHDの子が無くても起こりうるわけです。

息子が3年の時の担任の先生に至っては、マニュアルに沿った授業展開をなさる方でした。授業参観の時に先生が質問したら全員が挙手をするように予めルールを決めているんですね。

でもその挙手が指で、人差し指を突き上げて挙手する子とピースで挙手する子に分かれている。何かわからずにあとから息子に聞くと

1(人差し指)は本当に分かっている人←つまり先生が指してOKの子
2(ピース)は実は分かってない人←つまり絶対指される事はない

ここまでして、挙手をさせる意味があるのでしょうか。当ててほしい子、答えたくない恥ずかしがり屋な子、いろいろあっていいはずです。こういう時にもちろんうちの息子は挙手しませんが、ADHD多動と言われる子は、当てられていなくても答えを口に出してしまうんですね。全く意味の無いルール決めです。

少なくとも私が子供の頃は『全員頑張って手を挙げてね!』と先生が促す事はあっても、そんな見栄のための挙手なんてありませんでした。更にそんな授業参観も回を重ねれば保護者も指の違いの意味をわかっていますから、誰の為の挙手ルールなのかまったく意味をなさないルールとなり下がるわけです。先生の決めた挙手ルールは本質からずれているといえるでしょう。


今通っている小学校には車いすの子も知的障害がありサポート校に通う子も、みんな同じクラスで活動しています。そしてそれぞれの子が参加できる活動と(身体的に)参加できない活動を先生と話し合い、出来る限りの参加をしています。そして、それがあたり前の状況で生活しています。


たぶん、こうした丁寧な対応をしようと思ったら、先生1人に対して生徒は20名が上限かと思います。ちょっと騒ぐからという理由でその子を隔離するのではなく、サポートの先生を入れるとか、クラスの人数を減らすという事で対応できる事がたくさんあるはずです。

行政は二言目には予算がとおっしゃいますが、現状別学級として施設費やそこの人件費は計上されているわけですから、それを各校で分配すれば十分まかなえるはずなのですが・・・・


排除は簡単ですが、排除に慣れてしまった子供たちが大人になった時に、他人を思いやる事を基本に考えられるでしょうか。ADHDの子は他人の事がわからないと言われていますが、ADHDでない子もそうなってしまう恐れがあります。


この辺りは、医療というより学校教育そのものの問題になるかと思いますが。

おっと、今日は至極真面目になってしまいました。