本厄の年も残り3日
「厄年だから」と理由をつけて過ごせる年が終わる。
思えば、一昨年末。大家が債権を抱え破綻し、多額の賠償金を貰い
住居を転居してからと言うもの全てが空回りしてたと思う。
大好きな趣味からも色々な理由をつけて離れ
仕事に関しては過度な自信が祟り当初の計画には到底及ばず
先の見えない希望と目標とやる気が全く見つからなかった一年だった。
細く弱い糸をギリギリまで張りながら切り詰めていたことも
年の瀬の一歩手前で途切れ、今や家賃3か月も滞納の上、更新料の見通しも立たず
それを家主と対話する事無く、保証人からの連絡にも一切応じず
分かってはいるのに、どう対処し出したらよいのか分からず、このブログを書いている始末。
分相応などと大層な話では無く、人として最低限しなければいけない礼儀も果たせず
最低な人間に向かってまっしぐら。
10年間の恋愛が終わり、過去の栄光に引きずられ今でも他で全然行けると思っての勘違い
よる年波と実績、地位、収入が伴っていなければ、唯一の支えでもある筈の「過去」の良き思い出など
弊害になれけど、足しにはならないものだと痛感しながらも元来の天の邪鬼振りで、自分は大丈夫などと
都合のよい考え方ばかりしてる。
来年こそは、来月こそは、来週こそは、明日こそは、午後には、、、、、、、、、
先を見据えた生き方、先を考えた行動、将来の展望。
見方、考え方が全然分からない。
誰かに助けてもらうようなことではないけど、助けてもらい方も分からない。
人との付き合い方も分からない。
話し方も分からない。
分からないって言葉は楽だ
だって分からないんだから
だから自分の中では分からないは一番使いたくない言葉。
今までの人生で分からない事を聞かれない為に自分で探求をしてきた 筈
知らない事を知った時の喜びは何よりも嬉しい
でも、自分の分からないことなど、人に聞けるのだろうか?
自分でも分からないのに他人が分かるものなのだろうか?
分からない事を前提に主観的な考え方しかしなければ
誰も分かってくれようとも、分からせようともしないんだろうと思う。
分かっているのに分かろうとしてない
人の話を聞くのは好きだ。自分にない考え方を聞けるから
以前はもっと聞き上手だった 筈
自分の意見は中立的な意見を出していたし持論は極力持ち出さなかった
今は?
これはこう それはこう
全て決めつけた上での持論のごり押し。 なにやってんだか。。。。
鏡を見ながら話しても返事をするのは自分
今までの自分を作り上げてのも過去の自分
褒める、労わる、反省する
一番の言葉哀れむかもしれない。どこまで行っても自分がかわいそう
間違いの人生を修正する為に今できること。
まずは自分の思いをとにかく書き出す。
何を考えているのか思っているのかを知ってみよう。
不動産屋に電話しないと。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。