Крашенинников『カムチャツカ誌』

 

以下の記述も、恐らくStellerの手稿からの引用と考えられる

 

Курильская лопатка, а по курильски Капу́ры, есть самой южной конец Камчатского мыса, разделяющего Восточной окиан от Пенжинского моря, звание получила от того, что видом походит на человечью лопатку.

 

クリル地方(カムチャツカアイヌの居住地域)のロパトカ(лопатка)岬、

クリル語(カムチャツカアイヌ語)では、Капу́ры(Kapúrui/カプルイ)は、

東の海(太平洋)とペンジナ海(オホーツク海の一部のPenzhina海)を隔てる

カムチャツカ半島の最南端の岬であり、

人間の肩胛骨(лопатка)のように見える事からこの名前が付けられた。

 

Стеллер, которой сам был на Лопатке, пишет, что оное место от поверхности моря не выше десяти сажен, что для того подвержено оно великим наводнениям, и что на 20 верст оттуда нет никакого жилища, кроме того, что иногда по нескольку человек зимуют для ловли лисиц и песцов, но когда понесет туда лед с бобрами, то курильцы, которые за привальным льдом всегда берегом ходят, в великом множестве туда собираются.

 

 На три версты от самой Лопатки нет там никакого произрастающего кроме моху, нет ни рек, ни ручьев, но токмо несколько озер и луж. Она состоит из двух слоев, из которых нижней каменной, верхней тундристой. От многократных наводнений поверхность его холмистою зделалась.

 

 

カムチャツカアイヌ語、千島アイヌ語で Kapúrui(Капу́ры)は

以下のように分析が可能です。

 

江戸時代の文化年間の上原熊次郎の稿本『蝦夷語集』では

「磯」をアイヌ語で「カバルシ」と言うと記録されており

 

 

これは、kapar(薄い/平たい岩/扁盤)-us(~がある 存在他動詞)-i(場所 名詞化接辞)で

海辺の満潮時には海水に漬かる平たい岩礁を指している。

 

Kapúruiはúにアクセント記号があり、直前の子音が両唇音のpである事から

それに連られて両唇音のpに後続する母音が円唇化(a>u)した可能性があり、

さらにアイヌ語の母音oと母音uは、アイヌやアイノのように母語話者以外からは

聞き分けにくく混同し易いので

Kapúrui<kapar(平たい岩盤)-o(~がある 存在他動詞)-i(場所)と分析する事が可能です。

 

肩胛骨(ロシア語でлопатка)は人間の骨格の中で最も平たい骨ですので、

kapar(薄べったい)に繋がります。

 

ちなみに、肩胛骨は

Dybowskiの手稿(占守島のアイヌ語)を纏めたRadlińskiの記録によれば

šapir(шапир)  łopatka scapula 肩胛骨

 

一般的にアイヌ語で、肩胛骨はtapera(<tap(肩)-pera(篦 日本語)なので

村山七郎先生はロシア語の筆記体のшとтは酷似している事から

шапирはтапир(tapir)の誤読とし

 

ラテン語のscapula(肩胛骨)の語頭のsを除いた部分のcapulaが

Kapúruiと類似している事から

Kapúruiは、taperaとcapulaの混淆と解釈されている。

 

しかし、江戸時代のアイヌ語集で最も信頼の置ける上原熊次郎の

『蝦夷語集』で「カバルシ」に「磯」の訳語を与えている事から、

kapar(薄べったい/平たい)から派生した地名と考えるべきと思われる。

 

次に

近藤重蔵がチュプカアイヌ(千島アイヌ)のイチャンゲムシ(市助)から聴き取った

『邊要分界圖考』のチュプカ諸島之図の中に

ロパトカ岬に比定されている「レフンライシャシ」がある。

 

 

「蝦夷地図式」の「レフンライシャシ」

 

レフンライシャシは、アイヌ語で

rep(沖)-un(~にある 存在他動詞)-ray(ひどく/たくさん 副詞)-sas(昆布/海藻)

あるいは

rep(沖)-un(~にある)-[ray(たくさん 副詞)-sas(昆布)-us(~にある 存在他動詞)-i(場所)]

 

動詞の結合価を検討すると

rep(-1 沖)-un(+2 ~にある )-ray(±0 たくさん 副詞)-sas(-1 海藻)

 

rep(-1 沖)-un(+2 ~にある )-[ray(±0 たくさん 副詞)-sas(-1 海藻)-us(+2 ~にある)-i(-1 場所)   動詞価0>-1]

 

と、解釈でき、沖の海藻がたくさん繁茂した場所という意味になります。

 

実際、現在でもロパトカ岬周辺には

На мелководных прибрежных акваториях расположены обширные поля бурых водорослей, с которыми связаны места обитания калана.

岬の沿岸の水域の浅瀬にはラッコの生息に適した海藻類が広く繁茂した場所がある

とされ、この解釈を裏付けます。

 

イチャンゲムシの言うレフンライシャシは

占守島とカムチャツカ半島のロパトカ岬の間の現代の地図でいう所の

Lopatka Reef を指したものではないでしょうか。

 

占守島からカムチャツカ半島に渡航する場合、ロパトカ岬の東側は

海流に流されると遠く東のベーリング海まで流されてしまうので、

必然的にロパトカ岬の西側を航行したと考えられ、

海藻類が広く繁茂した Lopatka Reef の上を丸木舟に乗って

カムチャツカ半島に渡ったので、そう伝えられたものではないでしょうか。

 

 

高瀬克範先生の調査によりアワチャ湾を含むカムチャツカ半島南部一帯に

アイヌ民族に関連する遺跡が、現在100以上も確認されています。