8年前、舞台を観て泣き
今また映画を観て泣く
映画『今度は愛妻家』は、2002年秋に六本木の俳優座劇場で上演された同名の舞台が原作になっている。当時21歳だった僕はこの舞台を観に行って、そして泣きに泣いた。
サードステージ(第三舞台が設立した演劇制作会社)がプロデュースした作品で、主人公の北見を池田成志が、妻のさくらを長野里美が演じていた。こんなにも泣けるのは登場人物の心の中にいくつもの感情が波のように湧き立ち、それがこっちにも伝わってくるからで、そんな感情の運動過多のような芝居を平然と毎日こなしているプロの役者というものに、改めて畏敬の念を抱いた。脚本・中谷まゆみ、演出・板垣恭一というペアは、サードステージの「showcaseシリーズ」というヒットシリーズを生み出しているゴールデンコンビで、『今度は愛妻家』もそのシリーズの一作。僕は他の作品にも何度か足を運んだが、『今度は愛妻家』は別格の面白さだった。セットも衣装も台詞も、今でも鮮明に思い出せる。そのくらいインパクトのある作品だった。
そんな『今度は愛妻家』が、8年を経て映画化された。豊川悦司と薬師丸ひろ子というスターを迎え、メジャー配給の作品としてより多くの人の目に触れることに、同郷の友人が有名人になったような誇らしさを感じた。
この作品は、ある夫婦の物語である。なにかとケンカの絶えない夫婦、北見(豊川)とさくら(薬師丸)。ケンカの原因を作るのはいつも北見だ。さくらが話しかけても邪険にしたり無視したり。おまけに重度の浮気グセ。北見は絵に描いたようなダメ亭主なのである。そんな北見にいい加減愛想の尽きたさくらは、ついに離婚を切り出す。・・・というのが序盤から中盤までのお話。この後物語は息を呑むような意外な展開を見せるのだが、それは是非実際に映画を観て確認していただきたい。
映画版は、僕の記憶が間違っていなければ、台詞も演出も、主な舞台となる北見の家の造りも、舞台版をほぼ忠実になぞっていた。もちろん映画版だけのシーンもあるが、ストーリーは全て同じ。にもかかわらず、結局僕は映画でもウルウルしてしまった。オチも何も全て知っていたはずなのに。8年前と今とでは価値観も多少変わっているはずなのに。
思うにこの作品は、夫婦というものをモチーフにしてはいるが、そこで描かれているのは「別れ」というとてもシンプルなものなのである。それも男女間の別れに絞ったものではなく、親子の別れもあれば、長年の夢を諦める、というような形の別れも含まれている。大事なものが手元から失われるときの辛さ、失って初めてその価値に気付いてしまう切なさ。そういう普遍的な感情に対して、堂々と真正面から描いているところにこの作品の持つ、舞台だろうが映画だろうが、8年前だろうが今だろうが、有無を言わさず感動させる力があるのである。
それにしても、人と人とが一緒にいるというのはほとんど奇跡じゃないか、と思う。誰かと一緒にいることは、幸せを生む反面、所詮は他人なのだから、過ごす時間が長くなるにつれて、辛いことも増える。来月僕は3件もの結婚式に立て続けに出席するのだが、いろいろな不満やリスクを乗り越えて、他人と人生を共有しようと決意した僕の友人たちに、敬意と羨望を抱く。
今また映画を観て泣く
映画『今度は愛妻家』は、2002年秋に六本木の俳優座劇場で上演された同名の舞台が原作になっている。当時21歳だった僕はこの舞台を観に行って、そして泣きに泣いた。
サードステージ(第三舞台が設立した演劇制作会社)がプロデュースした作品で、主人公の北見を池田成志が、妻のさくらを長野里美が演じていた。こんなにも泣けるのは登場人物の心の中にいくつもの感情が波のように湧き立ち、それがこっちにも伝わってくるからで、そんな感情の運動過多のような芝居を平然と毎日こなしているプロの役者というものに、改めて畏敬の念を抱いた。脚本・中谷まゆみ、演出・板垣恭一というペアは、サードステージの「showcaseシリーズ」というヒットシリーズを生み出しているゴールデンコンビで、『今度は愛妻家』もそのシリーズの一作。僕は他の作品にも何度か足を運んだが、『今度は愛妻家』は別格の面白さだった。セットも衣装も台詞も、今でも鮮明に思い出せる。そのくらいインパクトのある作品だった。
そんな『今度は愛妻家』が、8年を経て映画化された。豊川悦司と薬師丸ひろ子というスターを迎え、メジャー配給の作品としてより多くの人の目に触れることに、同郷の友人が有名人になったような誇らしさを感じた。
この作品は、ある夫婦の物語である。なにかとケンカの絶えない夫婦、北見(豊川)とさくら(薬師丸)。ケンカの原因を作るのはいつも北見だ。さくらが話しかけても邪険にしたり無視したり。おまけに重度の浮気グセ。北見は絵に描いたようなダメ亭主なのである。そんな北見にいい加減愛想の尽きたさくらは、ついに離婚を切り出す。・・・というのが序盤から中盤までのお話。この後物語は息を呑むような意外な展開を見せるのだが、それは是非実際に映画を観て確認していただきたい。
映画版は、僕の記憶が間違っていなければ、台詞も演出も、主な舞台となる北見の家の造りも、舞台版をほぼ忠実になぞっていた。もちろん映画版だけのシーンもあるが、ストーリーは全て同じ。にもかかわらず、結局僕は映画でもウルウルしてしまった。オチも何も全て知っていたはずなのに。8年前と今とでは価値観も多少変わっているはずなのに。
思うにこの作品は、夫婦というものをモチーフにしてはいるが、そこで描かれているのは「別れ」というとてもシンプルなものなのである。それも男女間の別れに絞ったものではなく、親子の別れもあれば、長年の夢を諦める、というような形の別れも含まれている。大事なものが手元から失われるときの辛さ、失って初めてその価値に気付いてしまう切なさ。そういう普遍的な感情に対して、堂々と真正面から描いているところにこの作品の持つ、舞台だろうが映画だろうが、8年前だろうが今だろうが、有無を言わさず感動させる力があるのである。
それにしても、人と人とが一緒にいるというのはほとんど奇跡じゃないか、と思う。誰かと一緒にいることは、幸せを生む反面、所詮は他人なのだから、過ごす時間が長くなるにつれて、辛いことも増える。来月僕は3件もの結婚式に立て続けに出席するのだが、いろいろな不満やリスクを乗り越えて、他人と人生を共有しようと決意した僕の友人たちに、敬意と羨望を抱く。