「さよなら20世紀」と告げた
原点回帰ロックンロール
現代の洋楽ロック・シーンにおいて、おそらく最重要バンドの一つに数えられるストロークス。この『IS THIS IT』は彼らのデビュー・アルバム。21世紀最初の年である2001年にリリースされ、まさにロックの“旧世紀”と“新世紀”の分水嶺となった象徴的な作品である。
と言っても、彼らは別に新しいロックを発明したわけではない。むしろその逆で、楽器編成は2本のギターとベースとドラムだけ。その使われ方も実にシンプル且つオーソドックス。60年代のようなプリミティブなロックンロールの勢いとピュアネスがある。ストロークスは「王道」というイメージだ。ロックの初期衝動に忠実なサウンドが、前世紀の間に溜まった垢と虚飾を洗い流し、再びロックは裸一貫となって新世紀を歩み始めたのである。
なんだか音楽ジャーナリズム的な物言いばかりでカユいのだけど、例えば80年代のビジュアル先行型のエンターテイメント的ロックが衰微し、それとは真逆の、暴力的で憂鬱な音が特徴のグランジが90年代初頭に台頭したように、ロックの流行り廃りは常に反動のようなもので起きる気がする。
90年代は、ロックなのにラップを歌ってしまうミクスチャーをはじめ、斬新で奇抜な音楽的アイディアの百花繚乱的な10年間だったが、今振り返ればそれはグランジを最後にロックの手法というものが粗方出尽くしてしまった後に行われた、不毛な実験の繰り返しであったように見える。何より90年代はヒップホップやR&Bなどのブラック・ミュージックが、ロックに代わってポップ・カルチャーの主役であった。
だからこそ、ストロークスの登場は必然だったのだ。痩せ衰えた土壌に種をまき続けるような不毛な作業に終止符を打ち、ロックが再びロックとしての存在感を取り戻すには、原点回帰しかなかったのである。
だがそう考えると、もはや21世紀のロックには、前世紀に培われた手法の順列組み合わせしか期待できないのだろうか、とも思う。
音楽的試行錯誤の果てにオーセンティックなストロークスが登場し、その後今日まで続くギター・ロックのムーヴメントを作ったように、2010年代になれば今度はテクノとロックの近未来的クロスオーヴァーが流行ったり、第2次パンクブームなんてのが来たりするのかもしれない。
だがそれはロックがその歴史のなかですでに経験したことの繰り返しだ。その時その時で、常に時代とマッチした新しい表現を獲得し、同時に古くなったスタイルは脱ぎ捨てて、新陳代謝を繰り返しながらコンテンポラリーを保つことこそがロックがロックたる所以だ。21世紀にいつかロックが「クラシック音楽」と呼ばれる日が来るのかなと、なんとなく地味に心配になる。ま、そうなったとしても聴き続けるけど。
ストロークスやホワイト・ストライプス、リバティーンズなどの登場で印象的且つとても嬉しかったのが、エレキ・ギターが再び「カッコイイ楽器」になったことである。
僕が熱心にギターを練習していた高校生の頃(90年代後半)、MTVを見ているとどのビデオでもエレキ・ギターは音が異常にぶ厚く加工されていて、弦楽器というよりもシンセサイザーの一種のようであり、おまけにやたらととんがったフォルムをしていたり、ゴテゴテしたペイントが塗られていたりして、まるで趣味の悪い装飾品か何かに見えた。今思えばそれはごく一部のギタリストに過ぎなかったのだろうけど、当時の僕は次第にエレキ・ギターを練習するのが嫌になり、3年生の文化祭の時以外はずっとアコースティック・ギターを触っていた。
だが、2000年代に入り、上に挙げたようなバンドたちが次々とエレキ・ギター本来の色気を取り戻したのである。彼らのギターの音はワイルドで無造作で、プレイ・スタイルもほとんど突っ立ったままなのだが、その姿がロックとしての説得力に溢れていたのである。
<THE MODERN AGE>
<LAST NITE>
原点回帰ロックンロール
現代の洋楽ロック・シーンにおいて、おそらく最重要バンドの一つに数えられるストロークス。この『IS THIS IT』は彼らのデビュー・アルバム。21世紀最初の年である2001年にリリースされ、まさにロックの“旧世紀”と“新世紀”の分水嶺となった象徴的な作品である。
と言っても、彼らは別に新しいロックを発明したわけではない。むしろその逆で、楽器編成は2本のギターとベースとドラムだけ。その使われ方も実にシンプル且つオーソドックス。60年代のようなプリミティブなロックンロールの勢いとピュアネスがある。ストロークスは「王道」というイメージだ。ロックの初期衝動に忠実なサウンドが、前世紀の間に溜まった垢と虚飾を洗い流し、再びロックは裸一貫となって新世紀を歩み始めたのである。
なんだか音楽ジャーナリズム的な物言いばかりでカユいのだけど、例えば80年代のビジュアル先行型のエンターテイメント的ロックが衰微し、それとは真逆の、暴力的で憂鬱な音が特徴のグランジが90年代初頭に台頭したように、ロックの流行り廃りは常に反動のようなもので起きる気がする。
90年代は、ロックなのにラップを歌ってしまうミクスチャーをはじめ、斬新で奇抜な音楽的アイディアの百花繚乱的な10年間だったが、今振り返ればそれはグランジを最後にロックの手法というものが粗方出尽くしてしまった後に行われた、不毛な実験の繰り返しであったように見える。何より90年代はヒップホップやR&Bなどのブラック・ミュージックが、ロックに代わってポップ・カルチャーの主役であった。
だからこそ、ストロークスの登場は必然だったのだ。痩せ衰えた土壌に種をまき続けるような不毛な作業に終止符を打ち、ロックが再びロックとしての存在感を取り戻すには、原点回帰しかなかったのである。
だがそう考えると、もはや21世紀のロックには、前世紀に培われた手法の順列組み合わせしか期待できないのだろうか、とも思う。
音楽的試行錯誤の果てにオーセンティックなストロークスが登場し、その後今日まで続くギター・ロックのムーヴメントを作ったように、2010年代になれば今度はテクノとロックの近未来的クロスオーヴァーが流行ったり、第2次パンクブームなんてのが来たりするのかもしれない。
だがそれはロックがその歴史のなかですでに経験したことの繰り返しだ。その時その時で、常に時代とマッチした新しい表現を獲得し、同時に古くなったスタイルは脱ぎ捨てて、新陳代謝を繰り返しながらコンテンポラリーを保つことこそがロックがロックたる所以だ。21世紀にいつかロックが「クラシック音楽」と呼ばれる日が来るのかなと、なんとなく地味に心配になる。ま、そうなったとしても聴き続けるけど。
ストロークスやホワイト・ストライプス、リバティーンズなどの登場で印象的且つとても嬉しかったのが、エレキ・ギターが再び「カッコイイ楽器」になったことである。
僕が熱心にギターを練習していた高校生の頃(90年代後半)、MTVを見ているとどのビデオでもエレキ・ギターは音が異常にぶ厚く加工されていて、弦楽器というよりもシンセサイザーの一種のようであり、おまけにやたらととんがったフォルムをしていたり、ゴテゴテしたペイントが塗られていたりして、まるで趣味の悪い装飾品か何かに見えた。今思えばそれはごく一部のギタリストに過ぎなかったのだろうけど、当時の僕は次第にエレキ・ギターを練習するのが嫌になり、3年生の文化祭の時以外はずっとアコースティック・ギターを触っていた。
だが、2000年代に入り、上に挙げたようなバンドたちが次々とエレキ・ギター本来の色気を取り戻したのである。彼らのギターの音はワイルドで無造作で、プレイ・スタイルもほとんど突っ立ったままなのだが、その姿がロックとしての説得力に溢れていたのである。
<THE MODERN AGE>
<LAST NITE>