私の美(66)「和箪笥」


 この写真の和箪笥は、山形から東京にやって来たある明治生まれの女性の花嫁道具で、彼女が生きていたとすると百数十歳になっているはずです。

 関東大震災や第二次世界大戦や東京大空襲など、波瀾万丈な人生だったはずですが、この和箪笥は静かにその日常生活に寄り添ってきたのだと思います。

 以前、和箪笥を買おうかと大型家具店に行ったり、インターネットで調べたりしましたが、どれもこれも高級和箪笥ばかりでした。今や数少ない和箪笥専門の職人さんが丹精込めて作られているのですが、木材も金具も凝りに凝っていて、威圧感を感じてしまい、金額のこともありましまが、私の日常生活に寄り添ってくれるようなものではありませんでした。

 それはそれで仕方がなく、和箪笥を諦めていましたが、やがて、前述した女性が亡くなり、この和箪笥が我が家にやってきました。

 壁も床も白系の洋風のリビングに置くか置くまいかと最初は悩みましたが、運び込むや、この和箪笥はすっと我が家の洋風リビングに馴染み、私の日常生活に寄り添い始めてくれました。

 家具とは不思議なもので、その単体だけを見て買うものではなく、自分の日々の生活風景、つまりある種の日常の景観にすっと溶け込むかどうかのようです。家具屋さんに行き一目惚れし、大枚叩いて買った高級な家具でも、部屋に入れるとどこか収まりがつかないことがあります。

 ところが、我が家にやって来た和箪笥は、その日からヒタリと日常の景観に溶け込みました。そして、多くを語ることもなく、淡々と息づいています。名もなき職人が、明治時代に作った和箪笥は、当時の日常使いだけを考えたもののはずで、その日常使い感覚が現代の洋風リビングでも生きているようです。おそらく、喜怒哀楽が染みついた和箪笥だからこそ、なのかもしれませんね。中嶋雷太