心からお礼を言いたいと思います。
叶えたいことが沢山ありました。
過去に自分が犯した罪が無ければきっと叶っていましたが、なかなか叶わなかったから、いろいろなところへ出向いてお願いをしたのではなく、感謝が足りないと思い、お賽銭の額も多くして丁寧に参拝をしていました。
神楽の舞を奉納したり、本気で信心し、毎日感謝を告げていました。
頼み事をしたつもりはありませんが、改めて思うと特別に信仰心を持って日本という國を本当の意味で知ることにもなりました。
愛があって信念を通す時、確実に自分を犠牲にして何があっても耐え抜くと決めて、決死の覚悟で挑みますが、神に委ねて頼りきりその宗教の神の本当の力を知らないと損をする場合もある…そういうことも知っていきました。
魂とは、初めから過去世や何らかの別の因縁もつけていて、親を選んで、もしくはそこに敢えて意味を持たされて生まれてくるものです。
叶えられる現実はそれに影響する背景になる家系や血筋、そしてその土地に由来する情報によっても左右され、特別で無ければ上手く叶っていくことはありません。
「下手くその未来創造」これを皆しています。
結局、自らが犯した罪となるその自らを裏切る行為、恥となる行為や思惑や偽善をやめて、本来を生意気な態度で心の内に嫉妬や軽蔑して見下すことや、裏腹が存在する自己欺瞞、自滅する自己肯定感を下げるような無価値観を捨て、心からを励まし、希望を持って期待して信念を通し、信頼を自分において祈って生き甲斐を見つけるような状態になり、どれだけ早く確信持って行動できるようになるかや、計画性を持ち、楽しんで活き活きと実感しながら日々を暮らして行けるようになるか、それに尽きることになります。
覚悟を決めて何かに臨むとき、ふと関心ごとが情報として見つかると、ハッキリと目の前が明るくなり、急に意欲が湧いて、諦めかけてしまおうとしても何かに引き寄せられてその道を進めるように開かれていきます。
導きとは、そういう“氣付き”から始まり、送られてくるサインが多くなればなるほど夢に見た未来が必ず訪れるようになっていて、上手くできる人とそうではない人がはっきりと分かれてくるのです。
氣のいいところに出かけたりすることも大事ですが、何より確信持って澄み切った気持ちで、明るく前向きにまずは目の前のことに集中してただ淡々と過ごし、好きなことを無理して頑張らず楽しんでいるだけで、次の明るい未来につながる意欲を起こせるきっかけが生まれ、それを見失わず思い切ってチャレンジしてみれば、本当の意味での才能を開く出来事になり、予定が出来上がり邁進する事になって行き、確実に夢の未来に到達するのです。
本当の生き方があり方に変わり、成すべきことの意味がわかり、人生が切り開かれ到達する世界観の中で確信を持って“愛”というものが溢れる正しい道へと入っていくことになっているようです。
私自身がこの人生を通して学んだこと、その全ては肉体を脱いで己の意識が到達する世界観へ誘われ、天国や地獄というような世界とはまた違う別の可能性を秘め逝く世界が決まるのです。
私たちは可能性として意識の広がる世界に存在していて繋がれていて、そのレベルによってサインも変わります。
単純に今の自分を鍛えることなく現実を生きて、「可能ならばぜひ何かご利益を下さい」と願い出ても、そんじょそこらの凡人には何もくれないばかりか、敢えて氣だけは貸してくれて、「あー、スッキリした」「いいことがありそう」そう期待させて、確信的に催促をする世界へ誘うのです。
周りを見て自分に足りないもの、そればかりを思い、羨ましくて買い物や競争に走るとそういう世界につながる意識にサインが送られて、即身成仏でもしなくてはならないような末期を送る羽目になります。
悔しがったり悲しんだり、浮き沈みのある感情をできるだけ起こさず、ツキを作るための日常生活を丁寧に続けていく。
管理して毎日を確実に現実として確信して成果を見て生きる。
“自分”とはいったい何者か?
自分は何がしたいのかを考えながら、本当にそれを望み、本当にそうありたいのかを問いながら、またそれを意識づける習慣をつけることが、より善い情報として繋がる意識の世界の誠実な存在からのサインを受け取る力になってゆくのです。
安易に何かを変えてくれる存在がいるわけではありません。
“氣”という気配は低いところにも当然存在しています。
誘惑に繋がないよう、本物の進化を起こし繋ぐ先のサインを見逃さないでください。