コントロール機能を失う日本

才能開花
各分野では日本人の素晴らしい活躍が話題。

この日本が人気の理由。

このくらいでは挫けない!
もっとやれるはず。
もっと簡単にできる!
もっと組み換えてみよう。
さいっこー!になるまで決して諦めない。
抑えて言って新化させている。

協力し合う。
最善を尽くす。
餅は餅屋の考えがその機能自体を全体で底上げし、規律によって成果が必ず活かされるよう組み合わせて推進させてゆく。

憎しみをつけない。
協力は惜しみなくする。
学びを活かし、少しづつの進化を止めない。
信頼を尽くす。
心で感じているから。

愛は言葉で言うより態度で示し、より深く、より篤く、結果としてどうかという先の展開に目当てをつけて、末広がりに栄えるときまでが全て愛であり続ける。

心のありようをわかると、それはいたって当たり前のことではあるが、さて、今後はどうか?

人間が幅を利かせ、悔しさを言い、可能性のツキを、つまり何が勝ちか負けか?
その優劣を美徳や技能ではなく点数や力技にしてつける時、人が靈止ではなくなって、ただの“人間”という生き物なだけの価値になる。

変わってきたと思うのは、神の力。
何々神社の鳥居の前で信心深く礼をして入りはしても、詳しくなるのは何の神のどんなご利益か。
きっとこの神が何をしたからここに安置されていて、國に誓っている神かどうかなど知る由もないだろう。

國とは國。或るを囲む。
或ることがわかっている。
全て。
全宇宙の始まり。
國と国は同じではない。

失くすことは怖くない。
たくさんのことがこれまであった。

今日からまたこのブログを再開する。