11月半ば。佐々木氏、改め、藍さんの家に引っ越してもうすぐひと月になる、ある晩
「旅行に行きませんか」
と、彼が言い出した。
「……たとえば、どこに?」
「どこでもいいですけど」
「藍さんがどこか行きたいわけじゃないんですか」
先月指摘されてから、呼び方はもう慣れた。
彼は少し考えて言う。
「実は、行ったことがないんです」
「旅行に?」
「そもそも、他人と24時間過ごすこと自体が嫌でしたし、そうしたくない事情もあったので」
あれからも当然のように何も無いので、その傷痕を見たことはないけれど、少なくとも他人と同じ空間で気楽に過ごすことは難しい、ということは分かる。
「……じゃあ、藍さんが行ってみたいところがあれば……というか、もしかして、とりあえずどこか泊まりで出かけてみたい、というだけですか?行きたい場所があるというより」
「そうですねえ」
私が淹れたお茶を前に彼は言う。
「出来たら、今、部屋で温泉に入れるのがあるでしょう。大浴場じゃなくて」
「ああ。そうですね。それなら藍さんも……けど、結構しますよ?お値段。あと、いつ行くか……」
「宿泊代は私が出しますから、予約が取れる時でいいです。あなたが見繕ってくれませんか。良さそうなところを」
「……いいんですか?」
「誕生日プレゼントのつもりもあるんです。あなたの。だいぶ遅いですけど」
9月17日。今は11月。確かに今さらだけど。
というかこの人に、誕生日話したっけ、と考えていると、言われた。
「引っ越した頃、個人情報の書類を色々とここに出しっぱなしにしていたでしょう。あなたは。見る気が無くても目に入ります」
「……すいません。……ちなみに、藍さんは」
「今月ですが、もう過ぎました」
「じゃあ誕生日プレゼントなら藍さんのが近いじゃないですか」
「私のなんかどうでもいいんです。先月何気なくあれを見たときは……この人は誕生日に物でも食事でも、ねだることも知らないのかと思いましたよ。もしくは私がそういう対象に思われていないかと」
こちらこそ、あなたがパートナーに誕生日のプレゼントをねだられたいような男性だとは思っていませんでしたよ……。
続きます
お読み下さりありがとうございます
今日は春分の日・・・とはいえ、雪も降ったり、季節の分かれ目のような日ですね。
皆さまどうぞご自愛くださいませ
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途中でアメブロが新エディターに変わったので、文字や色の統一が難しいですね