なかなか自分の思いが整理出来ず、その他プライベートなことでも良い事、悪い事が重なり書くことが出来なかった


6月の後半、彼から長い長い文面が送られてきた

なかなか自分の体が回復しないこと

これから先、体のことで私に心配ばかりかけてしまうこと

生き方(価値観)の違い

感謝の言葉

を綴り終わりにしたいという内容であった


発症後3ヶ月でやっと自分の足で歩けるようになり

1ヶ所の梗塞だと思っていたが翌日再梗塞となりその部位はとても怖い部分であった

その後遺症で嚥下(飲み込み)に障害がある

ゆっくり咀嚼しないとむせてしまう

退院はおそらく最長の6ヶ月の9月だろう


私はもし病気になってしまったらある程度のことは守り、たまにご褒美の日を設けるなどして出来る限り生きたいと思うタイプ

でも、彼は制限なく好きなものを食べて好きなことをしていつ死んでもよいと思うタイプ

以前映画タイタニックの中で沈んでいく船の中、ベッドの中で手を取り合って死を覚悟した老夫婦の話になったことがあった

あんな風に亡くなっていくのもいい

それは共感したけれど私はあれくらいの年齢なら良いけど今はまだ躊躇うと言った

しかし彼は別に今でもよいと...

後悔することはないからいつ死んでもよいという考えだった

病気になってもその生き方や価値観は変わらなかった

制限をしない彼に苛立ちヤキモキする自分の姿が目に浮かぶ

色んなことを指導したけれどたぶんそういうことが

有り難い半目、鬱陶しいと思っていたかもしれない


再発すると麻痺や障害がさらに出てくることは必須

嚥下障害もあり今後肺炎になることもある

おそらく寿命は縮小するだろう(していると思う)


支えていきたいと応援してゆくゆくは一緒に暮らすことも考えたことがあった


だけど彼は色々なことを考えて今後の付き合いを続けていくことを選ばなかった

辛かったけれど、どこか私の心の片隅で解放されたという思いが少なからずあった

そして彼も私から解放されたのではないかとも思う

束縛されることのない自由な人生を選んだ


同日、母の癌が発覚しその日は人生でとても辛い1日となった

遠くに離れているが気付けなかった自分を責めた

ツテを辿り良いDr.を紹介してもらいすぐに受診した

患者にとって1番の方法を考える素晴らしいチーム医療をされる

母もその病院に行くのが楽しみであると言い治療が開始された


なんでこんなに辛いことが同時に起きるんだろう

私は彼を支えたのに私を支えてくれる人はいない

勝手に決断した彼に怒りさえ覚えた


そして母の病気により私は急に焦りだし、参拝したい神社がそばにある結婚相談所にふらりと立ち寄ってみた

相談員の方に話をして、自分以上の年収の人はほぼいないし自分の給与を相手のために使えるか?母のために安心させたいという理由は私自身の幸せにはつながらないこと。彼のことも話をしたが、病気になったら面倒を見てもらおうとする人がほとんどなのに(少なくともこの相談所には)あなたのことを思って別れを決断した勇気ある人だ

彼を憎んではいけないしあなたよりもっとつらい

社会的地位もある良い人と巡り合ったんだと彼を絶賛された

結局、入会も勧められず話を聞いてもらうだけの時間となった



嬉しかったことは初孫が生まれたこと

日々スクスクと育っていく逞しい生命に何度も救われた

その子の顔を見ることでパワーをもらっている

母にとっても初ひ孫であり会わせることが出来てよかったと実感する


若い夫婦はなにかと支えないといけないし母も支えないといけない


誰かに必要とされていることはちょっとしんどいと思うこともあるけど生きる糧にもなる


色んなことがあって書ききれていないが大事なのは健康だと強く思う

痛みや不自由なことがない体は何者にも変え難い

出会った当初から彼は健康体で健診結果も異常はなかった

健康体であっても、いつなにが起きるかわからない年齢になっていることを痛感した


新しくパートナーを見つけるのはもう少し先になるかもしれないがそんなに急ごうとは思わなくなった

今はそんなパワーがやや衰えている


彼に出会えたことを感謝し、そして彼らしく生きて、生ききって欲しいし彼の幸せを願えるようになった

いつか大好きなバイクに乗れる日が来ることを願っている

そう思えることになった自分がちょっと誇らしい


○○さんはずっと変わらすきれいでいるな

みんなに好かれるかわいいおばあちゃんになるよ

そして長生きするから


そう言ってた笑顔の彼を思い出す


やっと書くことが出来た

1歩前進ランニング


またマイペースで綴っていきたいと思います

読んで頂きありがとうございましたクローバー