182.ハルの微笑み.125 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
ワタクシはこの事をブロに書くか書くまいか或いはアメーバにするかでここ1ヶ月迷っていました、それはワタクシの一生の中で一番悔いていて思い出すたびに胸が痛くなる出来事だからなのです。



夕子はトイレから口をタオルで拭きながら出てきました、
夕子「ワタシ タブン、コドモ デキタヨ」


ワタクシ「えっ、子供、子供が出来たのか?」


夕子「ウン、タブンネ」

ワタクシ「そうか、じゃあー、頑張らないとな」

夕子「アナタ ナニイッテルノ、ワタシ ウマナイカラ!」


ワタクシ「ちょ、ちょっと待てよ、何勝手に決めてるんだよ」


夕子「イマ ウムデキル?ワタシ モ アナタモ オカネナイノニ!」


ワタクシ「まあ、確かにお金はないけど」
夕子は毎月20万円以上のタイに送金をしなければ家が無くなります、パチンコで給料は無くなり、家に送るお金もなくイラついていました、子供が出来れば仕事も出来ずにお金も無くタイの家は借金のかたに取られ帰る場所も無くなってしまう、このことが夕子の頭を支配し子供を生まないという一点張りなのでした。

ワタクシ「まあ、すぐ決めないでよく二人で考えよう、なっ」
夕子は黙っていました、お金も、会社も、家も失い全く先の見えなくなったワタクシが夕子に「大丈夫だから」と言い切れるものがなかった、そして夕子の子供がいらないと言う事をワタクシの頭の中のどこかでは受け入れてしまっていた部分があり、夕子が言うならしょうがないと男のズルさで夕子に責任転嫁していた、ここにワタクシが自分自身が許せない部分があるのです。


ワタクシは本来子供好きで特に女の子が欲しくてしょうがなかったのです、二人いる子供のうちの一人が女の子ならばワタクシは家に真っ直ぐ帰り、独立などしないで遊びもしないマイホームパパになっていたかもしれません、女の子が順調に育ち結婚式で泣くことさえ夢見ていた時期があったのです、巡り合わせ、或いは運命なのか、全く違った道を歩んでしまったワタクシです、過去を振り返っても変わらない事なのだからを信条していたワタクシですが、唯一この事だけは今も心の傷として残ってしまっているのです。


ワタクシと夕子はよしえママの台湾料理店で相談にしました、しかしよしえママの意見もいまの二人の現状を考えるなら産まないほうがいいのではと言うものでした、夕子の決心が更に固まりそれ以上ワタクシは何も言うことは出来ませんでした。


数日後、ワタクシと夕子はよしえママに紹介された北砂の産婦人科に向かっていました、前日にも検診に訪れていますが今日はいよいよ夕子のお腹の中にいる胎児に別れを告げなければならない、病院に向かうタクシーを無言のままのワタクシと夕子、ワタクシは責めてもの思いで肩を抱くことしか出来ませんでした。

病院の入り口の前で今一度「本当にいいのか?」と聞くと夕子は気丈にしっかりした声で
「ホントニ ダイジョウブヨ」とワタクシに微笑みながら言いました、もちろん内心は心配でしょうがないに違いありません、病院に入り1日入院する夕子とは次の日の昼まで会えません、グッと抱き寄せ「ごめんな」と言うと自分に言い聞かせるように夕子は
「シンパイ ナイラク、アシタ マッテルカラ」と再び微笑みカーテンの向こうに消えて行きました、いつも相手に対して「ごめんな」しか言えない情けないワタクシでした、拳を握りしめ1人アパートに帰って行くしかありませんでした。


我が子を殺してしまったワタクシです、誕生していれば16.17歳になっているはずです、50歳を過ぎた頃からいっそう気持ちは募り同じ年頃の子達を目で追いかけ生きていればの思いにかられてしまい涙してしまいます、そしてその十字架は死ぬまで背負っていかなければならないと覚悟をしているワタクシなのです。



次回に続きます、いつもご訪問頂きまして心より感謝しております。