私は生まれてこの方
障害者が常に家族にいたものだから

人が障害というものに触れた時の反応を
子供の頃から目の当たりにして来た。

自分が体の病気にならないと
体の一部を欠損しないと
視野を欠損しないと
知能が足りなくなってみないと
精神を患ってみないと

想像がつかない
その想像力のなさが人を苦しめる。

私の母は内部障害で難病がある。

難病だと言い渡された時
一緒に病院に行って医師の話を聞いた。

母は泣いた。

もっと頑張りたい気持ちと
体のしんどさが反比例して

それでも

障害者手帳をもらえる腎臓の数値ではなく
ただ人工透析になるまで待つだけで

健常者として看護学校の教員をしている。

精神疾患のある私がいながら
生徒達に教えるのは精神の分野だ。

精神科病棟の実習に行けば

離婚したお父さんのような
意思疎通が難しい障害者がたくさんいる。

辛いと思う。

もうやりたくないと思う。

それでも後続の人がいないから
体調が優れなくても健常者として働く。

指定難病なのに
健常者として働かなければならない矛盾。

私には分からない。

どこかの誰かが都合のいい様に
決めた事を福祉と呼んでる。

訴えられないと分からない世の中が
訴えられて初めて気付く。

そうしたら今度は
そればかりに特化するように動き

失言をした議員やお偉いさんが
国民に謝罪するんだ。

ブログやSNSで書こうもんなら

障害だろうがLGBTだろうが税金だろうが
国葬だろうが宗教だろうが何だろうが

重箱の隅をつつく人達が
辛辣な言葉をあえて選んで

自分が正解だと言わんばかりに主張する。

だから私はずっと同じことを
繰り返し繰り返し言い続けてる。

「狂った
 世の中で
 まともに
 生きるな。」

初めから何もかも狂ってる。