「ローフード」の食事法は、ナチュラル・ハイジーンから多少影響を受けているのは間違いありませんが、現代ローフード文化の基盤となっているものは、まさにリビングフード(ローフード)の母といわれるアン・ウィグモアが考案した食事療法といえます。
日本人にはあまり馴染みのない彼女とその食事療法の歴史を振り返り、ローフード文化の世界基準と素晴らしさを理解していただけたら幸いです。
ナチュラル・ハイジーンの歴史はこちら
http://ameblo.jp/rawvege/entry-12108646166.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【リビング・フード(ローフード)の母アン・ウィグモア】
1909年3月4日、バルト三国の一つリトアニア生まれ。未熟児で生まれ、まだ赤ん坊だったため、両親は新しい生活をスタートさせるためのアメリカ渡航のときに一緒に連れて行かず、リトアニアで幼少を過ごす。
村医だった祖母に助けられ健康を取り戻したアンは、彼女からハーブを使った治療法を学び、将来アメリカで自然療法のヒーラーとして活躍すると予言されます。
1925年、16歳のときに祖母のすすめで渡米。結婚して娘を一人授かるもすぐに離婚します。
40歳のときにひどく体調を壊し「大腸ガン」と診断されたアンは、アメリカの食生活がそのとき患っていた大腸ガン、関節炎、ヘルニア、偏頭痛、毒血症、欝症状の原因であると確信。さらに、交通事故に会い、両足が壊疽をおこし、医師に両足とも切断するように迫られます。
彼女は村医だった祖母が、第一次世界大戦で傷ついた兵士をハーブや野草を使い改善させていたことを思い出し、医師と父親の忠告を振り切り、自宅に戻り自分で薬草を使った治療を開始。以前食べていた野菜、穀物中心の食事に変え、野草を摘み、足の患部に当て続けました。緑の食べ物が無性に欲しくなり、野草をよく噛んでいたそうです。冬が近づき野草がなくなり始めると、アンは神に祈り、そして、台所で草を育てることを思いつきます。
休息、日光浴、野草、ハーブ、台所で育てた若草は、急速にアンを回復させ、数ヵ月後に病院に再検査に行ったときには、粉々になっていた骨は元通りに固まっており、治す必要がないほど改善。数年後にはボストン・マラソンにも出場できるほど回復します。
室内で育てた若草を飼っていた動物たちにもテストし、「動物たちが好んで良く噛むこと」、その甘さや、価格、手軽さなどの理由から、「小麦若葉」がアンのもっとも大好きな草になりました。
※National Academy of scienceは小麦若葉・大麦若葉を地上でもっとも栄養価の高い食べ物としています。
それから彼女はガンにかかった猿を引き取り、発芽させたタネ、発酵させたナッツ、タネで作ったヨーグルト、リジュベラック(発芽させた小麦を使って発酵させた水)、小麦若葉ジュースを使って猿を回復させています。
ガレージセールで売っていた肉のミンチを作る機材を目にし、彼女は少しの改良を加え、その道具で小麦若葉からジュースを絞り出すことを思いつきます。当時のジューサーでは、小麦若葉のような繊維質の強いものをジュースにすることは不可能だったため、草からジュースを絞り出すことは画期的なことでした。
そういった工夫を加えながら、彼女の大腸がんは完治まで約3年かかったと言われています。
キッチンでウィートグラスを育て、ジュースを絞り出すことができるようになり、自宅で簡単にできるリビングフード・プログラムの基礎が出来上がっていきました。
近所の寝たきりの人にジュースを配りはじめ、食事療法の講座をするようになり、1956年にヘルス・センター「The Red School House」をボストン郊外の町Stonehamに創設。ギリシャの医聖ヒポクラテスの格言「The body heals itself. The physician is only nature’s assistant」をモットーとしました。
知名度が上がるにつれ、さまざまな著名人からの援助も受けています。その1人は、ハーバード大学医学部卒業のポール・ダドリー・ホワイト教授(Dr. Paul Dudley White)です。アイゼンハワー大統領の顧問医師であり、アメリカ心臓病学会(The American Heart Association)の創設者として知られ、現代医療で治らなかった患者を、秘密にアンのもとに送ったと現HHI責任者ブライアン・クレメント医師は述べています。
有名モデルTwiggyがアンのデトックス・プログラムに参加したという新聞記事(The Boston Globe)を読んだ「ビクトラス・クルビンスカス」も、自身の自己免疫疾患を改善させるためアンのもとを訪れます。彼は当時、米国コンピューターサイエンス分野のトップクラスのエリートでした。
ビクトラスは3週間後、この施設に残りローフードの研究を続けるように神からの啓示を受けたことをアンに伝え、アンもこれを承諾します。彼はエリートの道を捨て、アンのもとで7年間無給でリビングフードの研究をし続けました。彼はこの施設の頭脳として働き、アンとビクトラスは施設の名前も「ヒポクラテス・ヘルス・インスティテュート」(HHI)に改名。
彼はその多くの時間をハーバード医学図書館で過ごし、さまざまな科学・栄養学・医学・疫学的証拠をアンに示し、それまでのベジタリアンの食事からヴィーガンの食事へ変更させます。さらに、多くの生菜食の有益な情報を示し、最終的に完全生菜食(ローフード)のプログラムを確立させたのです。
彼の集めた情報は、今でも多くのローフードの食事法を推奨するリーダーたちに引用され、その功績を讃えられ、「リビングフード(ローフード)の父」として尊敬されています。
HHIでは、今でも彼の授業を受けることができます。
写真はリビングフードの父「ビクトラス・クルビンスカス」と私 ![]()
Love in service
参考文献
「Wheatgrass Nature's Finest Medicine」
Sproutman - Steve Meyerowitz
Hippocrates Health Institute HP
Ann Wigmore, founder
http://hippocratesinst.org/ann-wigmore-founder
「ローフードの歴史」後半に続きます。












