なぜか居心地よかった名古屋時代 その1

 

進級して4年生では、年配の大ベテラン先生が

担任になりました。

名古屋弁バリバリ。

伝染るもんか、と必死に抵抗しても、

強烈な名古屋弁を口走ってしまうことも…

 

「~~~ダニ?」

「~~~だがやー」

「~~~だがネー」

 

は平気で使ってましたね。。

 

 

園芸クラブシャベルの顧問でしたが、クラスの児童全員にも

園芸のお手伝いをさせていました。

それはそれで楽しかったです。

 

 

土を耕したりスコップで土を耕す、種を蒔いたり…

クラスにぜんそく持ちの男子がいましたが、けなげに

園芸を手伝っていたので、先生のお気に入りでした。

 

 

しかし、このクラスを離れてみて、まったく園芸の「え」

の字もやらなくなると、4年生の時はよっぽど園芸作業に

時間を費やしていたのかしら、と思うほどやってました。

 

猪高小学校は、当時校舎がいくつもあって、

移動が大変でした。

自分が子どもだったせいかもしれませんが。

 

健康優良児の表彰を年一回やっていたのも、

新鮮な驚きでした。

二宮金次郎の銅像も校庭にありましたし。

けっこうベタ。

 

4年のクラスもいいクラスでしたが、

3年の時も一緒のクラスだった子が、

休み時間ごとに

「近藤先生(前の担任)に会いに行こう」

と誘いに来るので、新しい友達と歓談していた

私にとっては少々迷惑でした……

 

 

この頃は、男女問わず、放課後になると家まで遊びに行ったり

女子どうしだとお泊り会もよくやってました。

一緒にお風呂に入ったり、おそろいの手作りバッグを持って

学校の裏山にピクニックに行ったりと楽しかったですね。

 

 

新学期過ぎて、家庭訪問の時には、

クラスの子が次の子の家を調べておいて

先生を案内するという、

私にとっては初めての方法をとっていました。

 

 

クラスにはいろいろな子がいました。

休み時間になると必ず「おんぶ」と言ってくるので、

私がおんぶして歩き回った子。

これがなかったら、もっと脚が長かったかもしれない。

 

毎日の漢字テストでクラスの一、二位を争っていた子が

私に負けそうになると、

「わざとまちがえてくれない?」

とわざわざ問題までを指定して命令してきたり。

かなり間違えてやったので、実際はダントツ

私がトップでした。

 

今の時代だと問題ですね。

本人たちにそれほど悪気はなかったと思いますが、

私が文句を言わずに従うので、いいように使われてました。

 

 

 

なぜか居心地よかった名古屋時代 その3

へつづく

 

楽しいこともあった…かな??

「どこがsweetsだ? my life」のテーマ まとめ記事はこちら

 

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