今はもう懐かしい言葉だけど「計画停電」が実施された。

僕の場合はたった一回きりだったけどその計画停電を経験した。
計画停電が実施される日のお知らせが届いてたんだけど引っ越しの整理やらで忙しくて目を通すのを忘れてしまっていた。


自転車で事務所から帰る道中(震災後しばらくは電車がまともに動かなかった)スーパーに立寄り、晩ご飯を買って帰ることにした。

が、レジで清算を待つ行列の長いこと長いこと。今並んでもレジまで1時間はかかるんじゃないか、と本気で思った。
そして食品もまた、依然として壊滅状態だった。

諦め、最後の砦である地元のコンビニに目指して帰る途中、

突然、街中が暗くなった。

計画停電が実施されたのだ。

こういう例えは不謹慎かもしれないがライブ会場でライブが始まる直前に会場の照明が一斉に落ちるような感覚に近い。


何とか地元のコンビニに辿り着くも食品が無い以前に一時閉店していた。
今日は何も食べれないのかー...と思ってた矢先、近くのかまど屋の電気が眩いばかりに光っていた。

だけどどうせ何もないんだろうなーと思いつつも入店して注文してみるとなんと注文が通った!!
馬鹿らしいことだけど本気で救われたと思ったよ。

可笑しいことに地元の街が計画停電によって真っ暗な中、(コンビニですら暗い)かまど屋と向かいにあるボクシングジムだけ明るかったのが今も印象に強く残っている。


震災の被害に遭われた方に比べれば僕の体験なんて糞みたいなものだけど僕は初めて、本気で他人事じゃないな。と実感した。

思えばこれまで周りで起こった災害やら事件やら病気やら...全部対岸の火事、としてやり過ごしてきた。

その考えを変えなきゃいけない、と今更だけど強く思った。
僕にとって東日本大震災とは自身の平和ボケに気づかされることになった災害だった。


あの日から一年経ったわけだけど日本は本当に元気になったのだろうか?暗いニュースしか目に入ってこない。
「絆」っていう言葉をあちこちで聞くけどその割には食料の買い占めや被災地の瓦礫の受け入れ拒否やら終いには雪の受け入れ拒否やらで絆って何すか?って問いたくなる。


だけど、願わくばどうかどうか再び日本が活気づく日が来る事を祈る。

最後に改めて東日本大震災の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。




ハイパーアシスタントの憂鬱


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最初に、東日本大震災で被害にあった方々に心よりお見舞い申し上げます。
こんな僕が言うと軽く聞こえるかもしれませんが...。

今、震災の映像を初めてテレビで見てます。というのも最近になってようやくテレビを買ったので...。

2011年3月11日、当たり前だと思ってた日常が崩れた日。

そして長い一日が始まった。


僕は当時、地下のスタジオに居て激しい揺れを感じた時は「あぁ、疲れてんだなぁ..」と思った。
まだ東京に来て二週間も経っておらず、仕事についていくのがやっとだったからだ。
しかし先生やクライアント様の動揺っぷりを見てこれは地震だと確信した。

揺れが引いた後も「今回の地震はおっきかったなー」程度にしか思わなかった。

慣れっていうのは恐ろしいものである。

その後、クライアント様の会社から電話があり、社員を帰宅させるとのお達しがあった。
クライアント様が帰った後も僕らは残りの作業を処理して18時に事務所を出た。

先輩が「電車動かないだろうから家まで車で送ってあげるよ」と言ってくれたが脳みそお花畑な僕はこの程度なら止まってるわけないやんー、と思い「だいじょうぶっすよ-」と断ってたが先輩の強い押しに負けて結局車で送ってもらうことに。

事実を言うと電車は壊滅状態だった。運行が再開したのは22時くらいだったろうか。
事務所から家までの道のりなんて全然分からなかったから、もし、先輩に送ってもらわなかったら家に辿りつくこが出来ただろうか...。


車で大通りに出て事の大きさを初めて知った。

大渋滞、どこまで行っても帰る人で溢れていた歩道、信号の消えた交差点...。

車内のテレビからは人でごった返す新宿駅の映像、タクシーを何時間も待つ人々の映像、そして津波被害にあった現地の映像が絶え間なく流れた。

車は一向に進まず、同乗していた先輩は途中で横浜の家まで徒歩で帰宅した。
後で聞いたがその先輩は4時間歩いて帰ったようだ。
ただ、彼の決断は正しかったのだろう。

結局僕が神奈川(5分歩けば東京)にある我が家に着いたのは22時30分くらいだった。
自転車で飛ばせば事務所から家まで30分のところを実に4時間30分かかったわけだ。


だがこれで安心もしていられない、僕にはもう一つやらなくてはいけないことがあった。

それは京都に帰り、大阪まで通っていた写真学校の卒業式に出る事だ。
僕は卒業式だけを残して在学中に東京に出てきたのだ。
3月11日の横浜発の夜行バスのチケットも持ってたし、卒業式はどうしても出たかった。

しかしバスが運行するかが全く分からなかった。
バス会社に電話を何度も掛けたけど繋がらなかったから、とりあえず横浜の集合場所まで向かうことに。
幸い、横浜までの電車は22時くらいに運行再開してたので問題なく乗れた。


横浜駅も相変わらず混乱していた。
駅で寝る人や公衆電話に列を成してる光景を頻繁に見た。

集合時間を30分くらい過ぎてもバスが来なかったので諦めて帰った。


これで長い、長い一日は取りあえずは終わった。

京都には結局、当日に新幹線に乗って帰ることになる。

↓震災後の横浜駅
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今回撮ったミニカー

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「ORC雨宮SGC-7」7号車(井入/折目)

2008 鈴鹿 GT300km GT300クラス WINNER(予選:PP(GT300)/決勝:優勝)



今はサーキットから姿を消してしまったRX-7。
独特のロータリーサウンドを聞けばサーキットに来たなー、と実感した。

そしてGT300の中でも一際ユニークな車両だった。
アスパラカラーが印象的だったかな。

こういった個性派マシンが消えて行くことが僕にとって非常に残念でならない。


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