その <いらだち>は 自分に対するものだった〜① | 私らしい最高のライフスタイルを叶え続ける方法

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atelier amala(アトリエ アマラ)主宰

 

香港在住のみゆきです。

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atelier amalaでは、心・体・食の角度から

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写真は滞在先の一つの、リビングルームで。

ラグジュアリーなホテルに滞在する体験も

趣味の一つ。洗練も自然もどちらも体験したい。

 

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まだまだ自分を縛っていることに気づきました。

 

昨日、一時的にとてもむしゃくしゃしたのです。

 

やるせない思いと、うまくいかない思いと、

 

蜘蛛の糸のように絡まる何か。

 

 

 

家族との関係はいつも通り。

 

仕事も以前から依頼されていながら

 

なかなか動かなかった新企画WSも、

 

開催を決めたら直ぐに人が集まりました。

 

 

 

ローフードも生き方コンサルも

 

お申込みいただいて

 

生き方コンサル継続生も、皆いい感じで

 

変化とともに進んでいる。

 

 

 

なのになんで?

 

私は、実を言うとまたバリへ行きたかったんです。

 

そこでしかできない体験があります。

 

でも、娘の各種イベントごとと重なって、

 

娘が、「ママに見に来て欲しい」というので、

 

バリ行きを諦めて、香港にいることにしたのです。

 

 

 

娘が、<ママに見て欲しい、来て欲しい>、ということは

 

誰から強制されるわけでもなく、

 

よっぽどのことでない限り、

 

そうすることにしているから。

 

 

罪悪感ではなく、もうすぐ来るであろう<親離れのステージ2>

 

今は、娘が私を必要とする時間に応えることが、

 

<私のしたいこと>なのも、正直なところです。

 

大切にしたいんですよ、この時間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも私は、<自分のしたいことは、したい>

 

という欲求の強い人で

 

ママに見に来て欲しい、という要望にも応えたい。

 

そして、自分の願望も叶えたい。

 

 

 

開催日が決まっており、またいつかの機会に。

 

というわけにはいかないのです。私の中で。

 

やりたい事に関しては、

 

別のタイミングで何かが来るよ、なんて思いたくない。

 

タイミングは、自分の意思で掴むもの。

 

 

 

 

でも、その件に関しては、もう諦めていたと思っていました。

 

いつかのタイミングでやってくることが、

 

私の進む道なのよね〜と。

 

 

 

でも爆発したんです。

 

それは、母との会話で起こったことでした。

 

 

 

 

 
 

 

 

機会があって、チラッと話をしたら、

 

前に行ったところなのに、満足しない、

 

足るを知らないのはどうかと思う

 

と、諭され

 

 

 

ごもっともな話と思いながらも

 

その時に、私のモヤモヤが弾けたのです。

 

そして、なぜ弾けたかわかりました。

 

 

 

自分自身に対して、母が言った類のことを

 

言い聞かせ、なだめて、<欲求を無い事にしていた>自分に、

 

腹が立っていたんだと思うのです。

 

 

 

相手の言葉で、自分の縛りに気づけました。

 

自分の思いを無視していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

バリにまた行きたい

 

体験した未知なる世界を深く知りたい

 

奥底の何かを思い出した感覚を、確かめたい!

 

そんな欲求が、内から湧いてくる。

 

 

 

でも、もう先日行ったから、欲を出してはだめ。

 

足るを知らないと、

 

日常を楽しめないといけないよ。

 

そんな言葉も頭をよぎる。

 

 

 

 

これは母の価値観を否定しているわけでなく、

 

自分が自分に言い聞かせている言葉で、

 

 

 

あの行きたい情熱を打ち消すために

 

一般論で、自分自身を諭そうとしていたことに対する

 

怒りだった。抑圧に対するいらだち。

 

 

 

何でもかんでも、したいと

 

強く思う訳ではありませんし

 

やってみたい事を、手当たり次第する訳でもありません。

 

 

 

やはり、欲求度の高低はあり、

 

内なる自分と繋がるような思いが

 

叶えられない時は

 

それに応じて、ストレスも比例するようです。

 

 

 

その魂の願いを抑圧する言葉を

 

他人の口から言われた時に、

 

自分が反応したことで

 

私が無視していた、

 

この件への自分の欲求の高さに

 

気づくきっかけになりました。

 

 

 

結果的に、そんな役目を担ってくれた母には

 

申し訳ないと思います。

 

 

 

 続きます。