壱岐に移住する際に、島の援助プログラムを活用すると市が提供してくれる家に無償で3年間住むことができるのだそう。
とはいえ実際に住む、となるとどんな家にどんな風に暮らせるのか?は、知りたいところ。
今回の移住促進プログラム担当者であり、ご自分も移住してきた、という徳永さんがお宅を解放して見学させて下さいました。
お宅拝見、っていうのは簡単だけど、いざ自分の家のなにもかもを見知らぬ方々にお見せする、って大変なことだと思います。
お母様と二人暮らしの徳永さんの御宅は、とーっても素敵でした。
なのに、、私が写真を撮ったのはこれ
あんまり素敵にお暮らしで、あちこち、わあー素敵ー!と見ている間に写真を撮ることを忘れてしまったの。
明るい3DKの平屋一軒家で、作業場の納屋が別棟にあり、家庭菜園もあるその家は以前は10年以上誰も住んでいなかったのだそうで、住み始めた最初の頃は苦労の連続だったそうです。畳の裏には虫の卵のミイラがいっぱい。シャワー口はぽろっととれる。トイレも年代もの。。
無償で提供していただけるからと言って、課題がないわけじゃあない。最初のうちはお母様と2人で耐えながら暮らしたけれど、センスのいい母娘さんの工夫と改善の積み重ねで今があるのだということをつぶさに見せてくれました。
結局虫の卵がいた畳は撤廃してフローリングに、壁には漆喰を塗り白壁に。助成が終わり、賃貸になる(だがとても安いです!)何年目かに改修をしたそうですが、なんとそのリフォームにも助成金があるそうです。本当に手厚い!
移住して来た当初の様子の写真もアルバムにしてあって、以前はこうだったのよ、と分かりやすく見せていただけました。そういう気遣いができるところが、素晴らしい。
移住経験が壱岐が初めてじゃない徳永さん母娘だからできたこと、かもしれないけれど、具体的にリアルな移住者の実生活をいいことばかりじゃないことも含めて見せてくれる、ということはものすごく参考になりました。
それから場を移してお昼をいただき、2回目の先輩移住者の方達との懇親会でじっくり色々お話できました。
噂のS嬢も可愛いお嬢さんと来てくれて、本当に頼もしい限りです。
私はこんなにも豊かな島、壱岐の食材を生かしたローフードやベジフードを提供しつつ、海水を使う海洋セラピーやヨガなんかを組み合わせたリトリートをやりたいと思いましたし、そんな取り組みができたらいいな、という夢を語り合いました。
実現するかどうかは全く分からないけれど、夢を抱くことが、全ての始まりだから、今回の体験から明確なイメージができたことはとても良かったです。
あちこちに見えるビニールを敷いた畑は、たばこの植え付けなんですって。
壱岐の田んぼが広がる田原(たばる、と読む)面積は長崎県で第2位の広さがあり、前述の美味しいお米や小麦、タバコなどの生産をしているのです。
地図の印象で小さな島のイメージで来たけれど、もっと大きくて広い。
島で1番高い山でも200メートルと少しでスカイツリーより低いから、いわば島全体の敷地が広々使える、、イメージなのかな。
そうはいっても端から端まで車で20~30分で着いてしまうから一息で回れる効率の良さ。そして道のアスファルトは完備。
なんなんだろう、この島は。
特別区みたいだわ、、と思ったらやはり。
国境のある島という本当に特別な意味がある島でもあるのでした。対馬と壱岐は、確かに日本海を挟み観光の花火が見えるくらいに近いそうです。
日本を東京からの無意識の上から目線だけで見ていたらとんでもない。
小さな島(だけどそこに立っていたら小さいとは感じない)でも、明確な存在意義があり独立国みたいにインフラから食料から揃っている場所だった壱岐は、ある意味とても豊か、豊かすぎて焦る必要は全くないのでは?とすら思えました。
だけど、改革しようと頑張っていること、こんな充実のプログラムを作ってくださったこと、頭が下がるしポテンシャルの塊みたいな壱岐だから、もっと知りたいし、今度はゆっくり古墳や神社にもレンタカーして回りたいと思いました。
ローフードも壱岐の食材で作って見たいなあ。。
お見送りにはフェリーの別れにつきものの紙テープでお見送り、、を。
蛍の光が流れるなか、壱岐の皆さんと繋がる紙テープがだんだん離れていくのは、嫌が応にも別れの演出でツーンとなってしまいます。
本当に素敵な機会をありがとうございました!
壱岐のおかげでまた沢山の人とのご縁がいただけて本当に感謝です。