視線の先には | 途上

途上

わからないまま、生きてゆく。

 

 

 

 

通院などで外出したときには

なるべく歩くようにしています。

 

その時、わたしは

たいてい俯いて歩いています。

 

いえ、別に意気消沈している訳じゃないんです。

町中の植生、主に雑草を観察しています。

 

庭にはえる雑草について

抜かずにこのままにしていたら

いったいどうなるんだろう?

その答えが町中にあります。

 

たくましく生長した雑草をみながら

おや、フウロソウの種が飛んで殖えたとよろこんでいた

あの草は、実は雑草だったのね、とか

こんな愛らしい花、可憐な花を咲かせるのね、とか

ひそかに実地学習しています。

 

「雑」な性分のわたしの視線の先には

・・・「雑草」たちがいるのです。

 

 

雑草の生命力に手を焼いてしまったり

逆に、その生命力に励まされたり・・。

 

 

いま、エキナセアが咲いてきたわが庭。

 

 

↑ イレジスタブル

 

 

↑ マーマレード

 

 

↑ チェリーフラフ

 

 

品種不詳

 

 

たくさんの蕾をしたがえた株もあります。

 

宿根草なのでシーズンオフには姿も形もないのですが

実は、春先に雑草と間違えて

出てきたエキナセアの苗を危うく抜くところでした。

 

 

雑草であれ、エキナセアであれ

生命の力をまざまざと見せつけてくれます。

 

 

南米のジャングルで

こどもたちだけが(13歳から1歳までの4きょうだい)が

墜落した小型機から生還し、40日間、生き延びた話を知り

生命って、文字通り「生(なま)の」「命」なんだなぁと

そんなことを思ったりしています。