こんにちは。


千葉県船橋市で

リフレクソロジーのサロンとスクールをしている

みちと申します。

足裏から体全体を癒すのが、私の仕事です。



突然ですが皆様は


感動のあまり

人生が変わってしまった。


そんなことって、あると思いますか?

 

私にはあります。


そしてそれが、今振り返ってみると

人生の転機だったのですから、

感動の力、これは本当にすごいです。


もしかして感動することは

人生における何かのきっかけ、促進力みたいな

ものなのかもしれません。

 

話は少し、いやかなり前の、2010年に

遡ります。

 

当時、私は35歳。

 

結婚7年目、一人目の子は割とすぐに出来たけど、

二人目はなかなかできず、もう一人でも良いかと

思っていた頃に出来た第二子。


主人は海外赴任が多い仕事でした。

大学を出たあと、私は事務の仕事をして

働いていましたが、結婚後の主人の最初の

赴任先はシンガポール。

さすがに新婚で単身赴任&遠距離結婚は大変なので、

私は結婚と同時に仕事を辞めていました。


ここで我が家の状況をもう少し詳しく

述べさせていただくと、

最初の海外赴任は27才の頃、シンガポールで2年。

その後、日本に戻り、

5年ほど暮らしたのち再び海外、今度はアメリカへ。

2年のアメリカ生活を経て、2010年は

またシンガポールに移動になったところで

私の転機が訪れたのでした。


基本的に動いているのが好きなタイプで、

自分のおこづかいや好きなことは、

自分のお財布から

お金を出したいタイプの私。


そのために、仕事は一生続けたいと

思っていました。

 

海外赴任は労働ビザの関係があるので、

奥さんは働いてはいけないとのことで、

働けないことが実はとても辛かったのですが、

当時はそんな思いを口に出すことすら

出来ませんでした。


いざ海外で暮らしてみると、

日常生活の中で全然通じない英語、

どう入っていってよいかわからない

日本人コミュニティなど、

慣れない海外暮らしにホームシックになり、

一人で部屋の隅でぼーっとしたり、

街で行った焼き鳥やさんに

日本を思い出して涙したりしていたこともあったり、

急に孤独を感じたことを覚えています。


自分は日本の中ではやれたと思っていたけれど、

海外では何も出来ない。

そんなどうしようもない無力感が

私を襲っていました。


今ではもう良い思い出になりましたが、

結婚で自分の人生の方向性が一気に変わり、

これからの人生をどう歩いていけば良いか

わからなくなっていた頃だったと思います。

 

仕事は続けたいと思っていた私でしたが、

仕事内容に関していえば、

結婚前にしていた事務の仕事を

もう一度やりたいかといえばそうでもなく、、、、


お客様の顔が見えづらい事務職は

私にとってはなんだか実感がなかったのです。

 

子供が生まれてからは、

子育ても良いけど〇〇ちゃんママとしか

呼ばれなくなって

これって本当に私がやりたかったことなのかな?

と、迷いつつ、でも、子育てはやっぱり忙しいので

日々がバタバタと過ぎていっていました。

 

アメリカ生活は基本的に車を使う生活なので

運動量は減り、

アジア人への人種差別が暗黙に存在している

社会的構造を感じたりしました。


そして、美味しすぎるハンバーガーやポテト!笑

ヤバい、美味い、最高〜!

 

しかし、日本とあまりにも違う環境だったからか、

不摂生がたたったのか、

アメリカからシンガポールに移動する直前、

夫が

「最近俺、体の左側半分が痺れるんだよな・・・。」

と言い出したのです。

 

いやちょっと待って。

 

私、二人目妊娠したばかりだよ?

 

しかもあなた、まだ30代よね。


このまま、夫が倒れたらどうしよう。

 

私は言いようのない不安と心配で、

頭の中がぐるぐるし始めました。

 

→#2へ続く

 

ニュージャージー州からお隣ニューヨーク州の

マンハッタンを眺める。

 

 

マンハッタンはアメリカの中でも別世界。

街を歩くと、モデルさんみたいなきれいなお姉さんが歩いていて、テレビドラマみたいでした。