「ジェンダーって、なんだろう?」
最近、あらためてそんなことを考えるようになった。
私は以前、社会民主党に所属していた。社民党はジェンダー平等を重要な政策課題として掲げている政党だ。しかし、その中にいた頃から、私はジェンダーについて語られる言葉に、どこか説明しきれない違和感を持つことがあった。
私が思うジェンダー平等とは、究極的にはとても単純なものだ。
男だから。
女だから。
LGBTだから。
そうした属性によって人間の生き方や役割が決められるのではなく、一人ひとりが「個人」として対等に尊重されること。
それこそが、本当の意味でのジェンダー平等なのではないだろうか。
もちろん、現実の社会には性別や性的指向、性自認などを理由とする差別や不利益が存在する。だから、それぞれの属性が置かれている状況について語り、具体的な差別をなくしていくことは必要だと思う。
しかし同時に、ジェンダー平等を語ることによって、新しい「らしさ」を作ってしまってはいないだろうか。
「女らしさ」を押しつけることが問題なら、「男らしさ」を押しつけることも同じように問題であるはずだ。
そして「LGBTだからこういう価値観を持つはずだ」「性的少数者ならこういう生き方をするはずだ」という「LGBTらしさ」が作られてしまうのだとすれば、それもまた個人を属性の枠に押し込めることになってしまう。
私が社民党にいた頃、「女らしさ」という社会規範に対しては否定的な空気を感じることが多かった。
その一方で、「男らしさ」という社会規範については、必ずしも同じように問い直されているとは感じなかった。
たとえば、「男なのに可愛いものが好きなの?」というような感覚。
もちろん、これは党全体について断定できるものではない。あくまで私自身が所属していた中で感じた経験である。
けれども私は、そこに強い矛盾を感じた。
女性に「女らしさ」を求めることを否定するのであれば、男性にも「男らしさ」を求めない。それが一貫した考え方ではないだろうか。
男性が可愛いものを好きでもいい。
女性が勇ましくてもいい。
同性を好きになってもいい。
誰も好きにならなくてもいい。
既存の性別役割に沿った生き方を選ぶ人がいてもいいし、そこから外れる人がいてもいい。
重要なのは、「何者らしく生きるか」ではなく、「自分自身として生きることができるか」ではないだろうか。
私は、ジェンダー論というものは、単に「女性を応援する」「LGBTを応援する」という話だけでは足りないのではないかと思う。
もっと根本には、
「なぜ、人間が属性によって役割を割り振られるのか」
という問いが必要なのだと思う。
思想の芯、つまり「なぜジェンダーによる抑圧が生まれるのか」という社会構造への視点がなければ、「女らしさ」は批判するけれど「男らしさ」は残る、「多数派の固定観念」は批判するけれど「少数派らしさ」という新しい固定観念を作ってしまう、という矛盾が起こりうるのではないか。
そんななか、私は日本共産党と出会った。
そこでジェンダーについて学ぶ中で、以前から自分が感じていたモヤモヤに対する一つの答えを見つけたような感覚があった。
私が興味深く感じたのは、ジェンダーの問題を単独のテーマとしてではなく、人間が置かれている社会的・経済的関係や、差別、支配、階級といった問題と結びつけて考えようとする視点だった。
マルクス主義には、人間の置かれている状態を個人の性格や努力だけで説明するのではなく、その背後にある社会構造から考えようとする発想がある。
ジェンダーについても同じように、
「なぜ、この役割が男性や女性に割り当てられてきたのか」
「誰がどのような労働を担ってきたのか」
「家庭や職場の中で、どのような力関係が作られてきたのか」
と考えていく。
私は、この考え方に触れたことで、ジェンダーという問題が少し整理されて見えるようになった。
これはあくまで、今の私自身の理解である。まだまだ勉強しなければならないことは多い。
それでも、LGBT当事者である私にとって、「あなたはLGBTだからこうあるべきだ」と言われるのではなく、人間を属性から解放し、一人ひとりを個人として尊重する社会を考えるという視点は、とても勇気づけられるものだった。
私は、自分がLGBTであることを否定したいわけではない。
同時に、それだけで自分という人間を説明されたくもない。
性的指向も、性別も、仕事も、趣味も、思想も、性格も、これまで生きてきた経験も、すべてを含めて一人の人間である。
ジェンダー平等の最終的な目的とは、「すべての属性をなくすこと」ではない。
属性が、その人の人生を縛らなくなることなのではないか。
男だからこうしなければならない。
女だからこうしなければならない。
LGBTだからこう考えなければならない。
そんな「らしさ」から人間が自由になり、
「あなたは、あなたとして生きていい」
と言える社会をつくること。
私は、それこそがジェンダー平等なのではないかと思っている。
そして今、その答えをもっと深く理解するために、もう一度ジェンダーについて学び直してみたいと思っている。