ごきげんさまです


先延ばし癖がある自分


フツーの生活も終戦記念日までにと思っていたが、結局長崎の日に視聴した


東京の劇団員と分かっているのに80年前の長崎の病室だと認識してしまうほどの演技力に引き込まれる


長崎の友人の訛りを真似してみるが、訛り方を真似するのは隣県のものでも難しいのに劇団の方々の長崎弁の自然なこと


戦時中という難しい題材の演技だけでなく方言まで取り扱った監督に頭が下がる


まだ販売期間のためネタバレは避けるが

病室の患者達に感情移入していく


うちは大丈夫

狙われるのは北九州 当時の九州の人がよく語っていたとおり、まさか自分達が犠牲になるとは思っていなかっただろう方々のフツーの生活も未来が一瞬にして消えた怖さがそこにあった

その場を離れた者、とどまった者で明暗を分ける怖さ


しかしその後が本当の地獄

詩の朗読で見事に表現してくれた


人間の尊厳が奪われてしまう


北村総一朗さんの印象深いお言葉


まるでゴミのように扱われる人

フツーの生活をしていた人が尊厳を持ち荼毘にふされることすら奪われる世界

難を逃れた人も忘れた頃に苦しみながら命を落とす 

つい最近まで敵国だった国に支配されて、迎合しなければならない矛盾


報道や映像の規制のなかった子供の頃

毎年8月6日の平和授業で目にした当時の写真や映像が頭に浮かび、心が痛くなる

演劇を通して80年前に想いを巡らす体験をさせてくれた監督に、演者に、舞台や映像を作ってくださった方に感謝


ブログの更新がなくどうされているかと思っていた

戦争を表現できる稀有な俳優さんはなんと猛暑の

長崎にいた


病や老を寄せ付けない氣迫を見せつけられた

全国区の俳優の方が地方局の番組に出演してくれたことは地元の放送局にとっても名誉だっただろうと

感じた


自身を被爆三世と語り体験を後世に伝える九州では著名な女子医大生と並ぶ姿に現地に出向いてくれた臨場感を感じた

不思議なことにさほど年齢差を感じさせないのは

俳優さんだからだろうか、若い奥様がいらっしゃるからだろうか


怒りの広島 祈りの長崎と表現され

原爆の式典などでも長崎の報道は控えめになる中

戦後80年の長崎を扱った演劇 フツーの生活は

長崎に光を当ててくれた


詩人は詩で

演者は演劇で

写真家は写真で


被爆者の高齢化が進む今、

それぞれの方法でバトンを繋げていくことが

私たちに出来ることだと感じた


お読みいただきありがとうございました