2026年5月。
待ちに待った『愛の、がっこう。』の円盤が発売された。
大げさかもしれないけど、私の人生を、ある意味変えるきっかけにもなった大切なドラマ。
今一度深く考察したいと思いブログに綴ることにした。
2025年7月~9月に放送された、フジテレビドラマ『愛の、がっこう。』
私がラウールのファンになったきっかけのドラマであることは、別記事で述べている。
『愛の、がっこう。』の中で、ずっと心に残っている台詞がある。
――「幸せになるために 人を好きになるわけじゃないから」――
主人公の小川愛実に対して、クラス副担任の佐倉栄太が言った言葉だ。
場面を簡単に説明すると、佐倉先生は同性愛者。
「僕自身、人に祝福される恋をしてこなかった」
という佐倉先生に対して、愛実は
「祝福されなくても、幸せですか?」と問う。
「どうかな……。」
そして、顔を上げ「幸せになるために 人を好きになるわけじゃないから。」と彼は答える。
この言葉を聞いた時、とても心に響いたのを覚えている。
佐倉先生は、理屈ではなく彼の中に存在する実感で答えている。
彼は、男性しか愛せない。
だからきっと、今まで人に言えない恋も多かったんじゃないかと思う。
好きになっても、隠さなければいけない。
普通じゃないと言われる。
祝福されない。
そういう経験を積み重ねてきた人が、
「幸せになるために人を好きになるわけじゃないから」と静かに言う。
もしこれを、恋愛経験豊富なモテ男キャラが言っていたら、ここまで胸には残らなかった気がする。
「幸せになれる保証があるから愛する」わけじゃない。
「認められるから愛する」わけでもない。
それでも、人は誰かを好きになってしまう。
その避けられなさを、彼は知っている。
だから、このセリフは単なる恋愛観ではなく、彼の「生き方」そのものから滲み出た言葉なのだと思う。
私たちはつい、恋愛を結果で考えてしまう。
両想いになれたか。
結婚できたか。
周囲に認められたか。
でも、佐倉先生は、その価値観を静かに崩す。
人は「幸せになれそうだから」誰かを好きになるわけじゃない。
むしろ、気づいたら好きになってしまっている。
たとえ苦しくても。
たとえ叶わなくても。
たとえ祝福されなくても。
その「止められなさ」こそが、愛なのかもしれない。
脚本を書いた井上由美子さんは、『昼顔』でも祝福されない恋を描いていた。
でも、井上作品って、不倫や禁断の恋を肯定しているわけではないと思う。
むしろ
「正しさだけでは、人の感情は説明できない」という、人間の不完全さを描いている気がする。
理性ではわかっている。
でも、好きになってしまう。
苦しいのに離れられない。
そういう矛盾を抱えた人間を描くから、胸に響くのかもしれない。
『愛の、がっこう。』が描きたいたのは「人は変わることができる」ということなのかもしれない――
私はもう一つ考えていた。
このドラマが本当に描きたかったものって、何だったんだろう、と。
私は、一言でいうなら「人は変わることができる」だったのかな、と思っている。
井上さんは、雑誌で「教師とホストという『人間を相手にする職業』で真逆の二人が、壁を越えていく姿を通して『恋の底力』を描きたかった」と語っている。
この『恋の底力』が、単なる恋愛成就ではなく、『人を変えてしまう力』のことなんじゃないかな、と思う。
愛実は、「正しく生きる側」の人だった。
教師として、規律を守り、社会の中でも家の中でさえ正しく振る舞っている。
一方カヲルは、「正しく扱われない側」にいる。
学歴もなく、文字も書けず、世間から偏見を向けられ、夜の世界で生きていた。
でも、二人は出会うことで、少しずつ変わっていく。
文字を教える。
感情を知る。
理解される。
そして、気づけば、教えているはずの愛実の方も、カヲルによって変わっていた。
私はそこに、「愛の力」というより「人は、誰かに出会うことで変わってしまう」というテーマを感じた。
だから、『愛の、がっこう。』というタイトルもすごく象徴的だと思う。
「恋愛」ではなく「学校」
しかも、「学校」でなく、「がっこう。」
ひらがなの柔らかさや、句点の余韻も含めて「未完全な人間たち」の物語みたいに見える。
人は完成しない。
迷う。
間違える。
傷つく。
でも、誰かに出会うことで、少しずつ変わっていく。――
考えているうちに、私は推しへの感情にも少し似たものを感じた。
推しって、「手に入れたい」というより、「存在してくれてありがとう」に近い時がある。
もちろん、現実的には距離がある。
直接人生を共有するわけでもない。
祝福されない恋とはまた違う。
人間って、「直接関係を持つ相手だけ」に変えられるわけじゃないと思う。
本や、音楽、映画、遠い存在に救われることもある。
推しって、その最たるものだったりする。
たぶん、推し活の本質って
「この人を見ていると、自分の感情が動く」なんだと思う。
嬉しくなったり。
勇気をもらったり。
泣いたり。
何かを作りたくなったり。
私が書いているブログもそうだし、推しの絵を書いたり、人形や衣装、小物を作ったり、など全てに通じることだと思う。
だからみんな、感情を表現したり共有したくなって、SNSに自分の思いをつぶやくのだと思う。
つまり、推しへの愛って「消費」だけじゃなく、自分の中に新しい感情や創造性を生む力がある。
それはかなり、「人を変える愛」に近いのではないかと思う。
人を好きになることは、人生を変えてしまうことがある。
そう思うと、「愛」って、恋愛だけの言葉ではないのかもしれない。
「幸せになるために人を好きになるわけじゃないから」
この台詞の意味を考えているうちに、私は『推しを好きになること』も、どこか似ているのかもしれないと思った。
人を好きになることは、ただ楽しいだけじゃない。
感情を揺さぶられたり、
苦しくなったり、
価値観が変わったり、
時には人生そのものを動かされることもある。
でも、
だからこそ人は、誰かに惹かれ、誰かを想い、
そして少しずつ変わっていくのかもしれない。
『愛の、がっこう。』は、
そんな「人が人によって変わっていく力」を描いた物語だったのだと思う。
あとがき
ここに書いたものは、「正解」とかではなく、あくまで一つの考え方、と受け止めてくださると嬉しいです。このドラマが残してくれたもの、感じたこと、受け取ったものは個々で違うと思います。大好きで、大切なこの作品に関して深く考え、文字に起こすことができて良かったと思います。読んでくださった方ありがとうございました。
