[ モンタルバンの渓谷 ]
40年ほど前、長く独裁を続けていたマルコス大統領がマラカニアン宮殿から脱出し、政権がアキノ氏に変わる前後、アキノ氏を応援しにフィリピンに数回行っていました。



大停電のメトロマニラをサイドカーに乗ってまわる取材が一段落した後、友人と二人でマニラからバスとジプニーを乗り継いでリサール州のモンタルバン( 現在はロドリゲス) に行ってみることにしました。

今から考えると、何故、行くことにしたのか記憶が定かではありませんが、モンタルバンは当時、かなり素朴な町の印象でした。
そこは日本軍がマニラから逃げのびたところで、かなりの数の兵士が亡くなられたと聞きました。麓の町には石造りの円いドームの慰霊碑が作られていました。


そこからサイドカーに分乗し、舗装されていない狭い道を山の奥に進み、渓谷の先にあるワワというダムを目指しました。

道の左側は深い谷になっており、対岸は100メートルを超えると思われる絶壁があり、アリの穴のように見える人工の入り口が無数に開いていて、そこに日本の兵士たちがアメリカ軍の追撃に耐えてこもっていたそうです。
現在、ダムの周辺は観光地になっており、地元の方々の憩いの場になっているようですが、当時は何もなく、ダムに行く道の傍に固い岩をくり抜いたスペースがあり、タマサート大学出身のガイドの方の説明では、おそらく負傷した日本兵を休ませていた場所ということで、思わず手を合わせた途端、右肩に強い痛みを感じました。
夕暮れも迫り、サイドカーの手配もままならなかったので、麓の町まで徒歩で歩いて帰ることにしました。
肩の痛みは、羽田に帰るまで続きましたが、タラップを降りた途端、嘘のように消えました。
おそらく、あの岩をくり抜いた場所で日本に帰りたいという思いとともに亡くなり、そこにとどまった御霊のなせるわざだったのかと思います。

霊によっては、時空を超えて自由に移動することができないものもあり、地下鉄で移動したり、生きている人について移動する場合もあるようです。
インバウンドで賑わっている日本各地の観光地ですが、旅行者が住んでいたところの良からぬ霊が旅行者について日本に来ている場合もあり、中にはかなり厄介なものもあると考えます。
経済的に一部の方が潤う一方で、霊的な副作用も生じているかもしれません。
※マルコス大統領=フェルディナンド・エドラリン・マルコス フィリピン共和国第10代 大統領。20年に及ぶマルコスの独裁政権下では、政敵が拷問を受けたり、即決処刑にされたり、失踪したりするケースが相次いだ。1972〜1981年に戒厳令を敷いたマルコスは、不正行為を認めないまま、亡命先のハワイで89年に死去した。現マルコス大統領の父。
