苦戦した子どもから大人への変動期
●小学校から新制中学へ 小学校6年生のとき、アデノイドと扁桃腺を切除した。それを母から聞いた担任の先生は言った。「戸村はこれから成績が上がるぞ」 当時、成績の良い生徒は中学(4年制)に進学し、成績が伸びない生徒は小学校高等科へ自動的に上がっていた。担任の先生は私が進学組になることを期待していたのかも知れない。ところがそのような様子はなく、小学校卒業の日がやってきた。私は進学を希望せず、小学校高等科へ行った。 高等科では奇跡が起きた。成績の良い生徒はみんな進学したため、私はなんとクラスでトップの成績になったのである。そうなると学習意欲が湧いてきて、まじめに勉強するようになった。 それから1年過ぎると学制改革(小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年)が行われた。高等科1年生は中学2年生になり、旧制中学に進学していた者のうち、私立に入っていた多数の生徒が新制中学に転入してきた。そのメンバーを見て、私はこれからトップクラスは無理かも知れないと思った。ところがそれからもずっと、私の成績は上位に高止まりした。なぜか。私立中学の多くの生徒は、あまり本気で勉強していなかったのだろうと私は思った。●電気通信学園に入学、初めて報酬をもらう 3年生になったとき、担任の先生か私に言った。「広島電気通信学園が生徒を募集している。試験に受かると、9カ月の学修期間があり、国語や数学などの普通科目のほか、モールス通信の専門教育を受ける。その間、一定の報酬があり、学園を卒業すると本格的に公務員に採用される。学校としては、試験に合格可能な生徒を選んで推薦することにした。君はその一人だ。家に帰り相談して翌日返事をしてくれ」 家に帰り母に言うと大喜び、我が家全員賛同のもとに担任の先生に試験申し込みをした。 それからしばらくすると試験があり、私は合格、広島電気通信学園に入学した。年齢は15歳。大人との付き合い方がまるでわからなかった。初めて幾何かの報酬をもらったが、そのときのことは記憶にない。入学してからの大きな課題はモールス通信、いわゆるトンツーだ。トンツーの能力は、国語とか数学などとはまるで関係がなく、一般に手先の器用な者は適応性があり、不器用な者は苦戦した。私はもちろん苦戦組である。モールス通信に適応性がなく、一定以上の点数がとれない者は退学にするという方針が示されたとき、私は半ば観念した。これを聞いて、母は言った。「親戚の無線通信士のところへ行き教えてもらいなさい」 それから2週間くらい特別訓練してもらったら効果が出て、なんとか電気通信学園を卒業できた。電気通信学園を卒業すると、音戸の瀬戸で有名な音戸郵便局(後に音戸電報電話局)に配属された。●広島県立宮原高校定時制に入学 17歳のとき、広島県立宮原高校定時制の2年生に編入入学した。それから、苦手なモールス通信で収入を得ながら、夜は高校に通うという生活が始まった。その間、初めて女の子とつきあったりしながらも、勤め先の幹部養成学校の受験に合格し上京した。そのときは19歳、ようやく苦手のトンツーと決別したのである。