最近、就職活動の「し」の字もない生活を送っているけれど、
将来の事を考えてみて、
色々と思う事はある。
世の中に対する不安や、時代に対する不満や、
昼間の学生に対する劣等感や、怠惰な自分に対する不信感や、
大人に対する嫌悪感や、他人に対する不快感。
こういった反抗的な意識は、ここ数年、自分の中に眠ってた部分だけど、
確実に、ずっとくすぶっていただけで、何処かに隠れていたんだと思った。
一番、世の中に対して反抗的だったのは小学生時代から中学時代にかけて。
反抗心が次第に単なる劣等感に変わったのは高校生の頃。
大学時代は、そんな自分の存在を忘れたふりして、意気揚々として生きてきた。
もっと、ギラギラしていた頃の自分は、パンクでカッコよかった。
と、今の自分は思う。
多分、あの頃の自分はあの頃で、自分の事が大っ嫌いで、
酷い劣等感で自己否定を繰り返して、すごーーーく危うい存在だった。
今の自分が、カッコいいねと褒めたって、素直に受け入れたりなんかしないだろう。
反吐がでる、と言ってギラギラした目で睨めつけてくる。
今の自分みたいな人間を、心の底から憎んでた。
世の中の大半のものが敵だった。
だけど、今より世の中に対して、ずっと誠実だった。
ずっと誠実だったし、今よりずっと素直だったし正直だった。
嫌なものは嫌だと言った。
間違っていると思うものには従わなかった。
理屈じゃなくて、正論を通した。
偉そうなことが言えるだけの努力をしていた。
知識が増えるうちに、色んな人とふれあううちに、
そんな風に生きる事は大変なことなんだと知った。
自分を通そうとすれば、誰かが傷ついて、誰かが嫌な思いをして、
或いは、自分という存在が否定されて、叩かれて消されるような気がした。
叩かれた事はいくらでもあったし、自分が揺らぐような事は沢山あった。
だから、努力する事を辞めた。
何に対しても不誠実で、何に対しても興味を示さず、何に対しても無感情。
ダラダラ生きる事を始めた。
自分がそうなった言い訳を、全部周囲のせいにした。
本当は周囲のせいだったし、自分のせいだった。
そうやって、自分を慰める事に従事したし、
そうあっても良いと思った。
今まで頑張ったんだからいいじゃないかと、自分を甘やかした。
だけど、今思えば、
自分をちゃんと持っていた頃の自分の方が、今よりもずっと社会の中に居た。
今は、隅の方で他人行事にぶら下がってる、すごく愚かな分際だと思う。
あの頃の自分が言うならば、「雑魚」って表現かなぁ。価値の無い存在。
前よりも、今の方が社会に適合してない。
ふりをするのに精いっぱいで、どんどんどん手に負えなくなってくる。
昔の自分が、今の自分を知ったらどれだけ、どれだけ気分を害するだろうかと、
申し訳なくなる。
過去に否定されたとして、だからなんだ、と開き直ってしまいたい自分と、
過去と強く繋がっている反抗的な意識の自分では相反する見解を唱えあってる。
今のままじゃ駄目だと吠えているのが正論だとしたら、
だからなんだと、真顔で答える奴が理屈だと思う。
つまらないヤジを飛ばしあう政治家みたいな感じ。
今抱えてしまった大人の事情というやつは、きっとあの頃の自分には理解できまい。
だけど、そういう事情を知らなかったし、抱え込んでいなかったから、あの頃は良かったんだ。
っていうのは、多分あの頃の自分が大嫌いな言い訳のし方だ。
でも、色んな問題を抱え込んだ今だから、あの頃の自分の駄目な部分がすごく良く分かる。
あの頃の自分は一人ぼっちも内心不安でたまらなくたって平気な顔をしていたけれど、
今の自分は大事なものを抱え込んで、不安でたまらなくなっても平気を装わなくちゃなならない。
世間体的に。
どうにか共存しなくては成らないと思う。
共存できたら、良いと思う。
対立しあってでも良いから、少なくとも大人の事情を討論に持ち出して、
話をあやふやにする様な人間にはなりたくない。
周囲から叩かれる事は無くなったけど、聞き分けの良い子になったら、
駄目なんだ。
それだけじゃ駄目なんだ。
社会や世の中から嫌われる覚悟がなかったら、
戦わずして自分が消されていってしまう。
今のままではだめなんだ。
と思う。
っていう戯言。
今や、自分に対してすら劣等感。
今の私の手持ちのアイテム、回復薬すら持ち合わせていない。