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Christi Natalis

Gloria in excelsis Deo   Et in terra pax hominibus bonae voluntatis

Felix dies Nativitatis

Καλά Χριστούγεννα (Kala Khristouyenna)
Joyeux Noel
Buon Natale
Merry Christmas



神の愛の贈りもの 幼子イエスの光と、聖母マリアの優しさに包まれて
慈しみと平和の下で、みなさまが過ごすことができますように

怪我や病や、様々な困難と闘っている命に、格別の慈しみと癒しと希望と
聖霊と天使たちの加護が与えられますように

世を去った方々に、赦しと安らぎと永遠の命が与えられますように 

AMEN





pedilavium (lavement des pieds / 洗足式)

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復活祭を前にした「聖木曜日」3月24日、午後よりカトリック教会の典礼は、「聖なる過ぎ越しの3日間」に入った。
教皇フランシスコは、ローマ郊外、Castelnuovo di Porto(カステルヌオーヴォ・ディ・ポルト)の移民センターで、「主の晩餐のミサ」を捧げられた。
この移民センターでは現在、難民認定申請者892人を受け入れている。
教皇はアフリカやアジア諸国など、国籍も様々な人々と共にミサを捧げられた。
ミサの中では、キリストが最後の晩餐の前に、愛と奉仕の模範として自ら弟子たちの足を洗ったことを思い起こす「洗足式」が行われた。
教皇は、ナイジェリア出身のカトリック信者ら4名と、カトリックのイタリア人ボランティアを1名をはじめ、エリトリア出身のコプト正教会の信者3名、マリ、シリア、パキスタン出身のイスラム教徒3名、そしてインド出身のヒンズー教徒1名の、計12名の足を一人ずつ洗われた。
ミサの説教で、教皇は「言葉より態度の方が多くを語ります」と述べつつ、「頭」であるイエスが、弟子たちの足を洗うというその「態度」をもって、互いに奉仕し合うことの模範を示したことを説明された。
一方で、教皇はもう一つの「態度」、弟子ユダが銀貨30枚でイエスを売り、裏切った態度にも注目された。
今日も世の中にはこの2つの態度があると教皇は指摘。
わたしたちは宗教は違っても皆神の子として、社会に溶け込み平和に暮らしたいと望んでいるが、この平和的態度の一方で、先日、ヨーロッパのある都市を破壊しようとした、平和に生きることを拒む者たちの戦争的態度があったと、2つの異なる態度を指し示された。
ユダの背後にはイエスを差し出すように金を渡した人々がいたが、これらの人々の後ろにも、平和ではなく流血、兄弟愛ではなく戦争を求める、武器商人たちがいると教皇は話された。
皆、宗教・文化は異なっても、同じ御父の子、兄弟として平和に生きようとしている、それが今、わたしと皆さんが共にしている「態度」ですと述べた教皇は、この兄弟愛が世界に広がっていくように祈りましょうと、ミサ参加者らに呼びかけられた。                                                                    (ラディオ ヴァティカン)

                                   (35~45分頃が、教皇による洗足のシーンです)

さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。 
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、 
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。 
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。 
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。 
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 
そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」 
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。 
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。 
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。 ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。   
                                        【ヨハネ福 13:1~14】

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さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。 
この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、 
後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。 
イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。 
そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。 
イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。 
 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」 
シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。 
そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 
あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。 
あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。 
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 
そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 
同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。 
イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。                                         【ルカ 07:36~50】 

Adventus 2015-2;Dominica 6 Decembris

長い間、ネットを離れなければなりませんでしたが、ようやく、昨日戻ることができました。転居などもあって、まだ落ち着いたとは言えませんが、徐々に皆様のブログを訪れようと思っています。また、お話しできることを願っていますキラキラ音譜ベル音譜キラキラ

私の大切なお友達一人ひとりに、アドヴェントの日々の喜びと、神の祝福がありますようにキラキラキラキラ