春に大学卒業予定の娘から、『留年することになった。』という知らせが来ました。単位が2つ足りずの留年との事。卒業できると信じていた妻は意気消沈。僕も「あー更に学費が必要になる。もう無理、お金がない!でも今大学を辞めたら今まで支払った学費がパーになる!一体どうすれば?」と何日も心が騒ぎました。「イエス様、何とか助けてください!」

 

するとある日の仕事中、突然、主がこう言われたのです。『心から私のために働いてみませんか?』とてもビックリしました。なぜなら主は娘のことではなく、僕のことに言及されたからです。僕はハッとしました。『何とかお金を作らなきゃ、とお金のために働こうとするから重々しい気分になってしまっていたんだ。」心配のせいでいつしか信頼を神ではなくお金に置いていた自分に気づかされました。「神様、ごめんなさい!」すぐに悔い改めて、神に信頼を置いたところ、さっきまでの不安や重圧がどこかにふっ飛んでしまいました!それは本当に一瞬の出来事でした。神のミステリーです。まるで暗雲漂う灰色の空が一気に眩しい青空に変わったかのようでした。神様は素晴らしいお方です!留年という娘からの悪い知らせを用いて、僕に良い知らせを届けてくれたのです。『心から働いてみないか?』この短い神様の言葉に救われました。物事は何も好転していません。なのに僕の心は希望と平安で満たされました。神様の不思議です。僕は聖書の言う『神の平安』を見事に体験できたのです。

 

それに比べて、この世が与える平安はどうでしょう?それはまず必要なお金が手に入り、問題が問題でなくなった時、やっと得られるものでしょう。つまり自力でなんとか頑張って『お金を手に入れなきゃ!』という重圧オプション付きの神様不在のバトル。そこにはただ『〜しなければならない』という強迫観念がつきまとう。これぞまさに『律法』ではないでしょうか?しかし神様の平安は違います。『さあ休んでいなさい。私が全てやってあげよう。』これこそ『恵み』です。この世と神様とでは順番がまるで逆なのです。ただしこれは僕が何もしなくて良いことを意味しません。必死で一生懸命働くのです。『何だ?この世のやり方と同じじゃん?』いいえ!僕は恵みのゆえに心には焦りなど微塵もなく、主を信頼できているので平安の中にいます。だから心から主のために働こうという気持ちになれる。もはや仕事は義務ではなく喜びとなるのです。楽しいと疲れも軽減されます。これこそ今回神様から伝授された『仕事の極意』なのです。『本当に神の声だったの?』はい!間違いなくイエス様の声でした。御言葉がそれを100%証明します。

 

奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、 人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良いことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。(エフェソ6:5ー8)

 

神様は僕に今回、問題は主に委ねて、自分は平安の中に留まるべきだということをおしえてくださいました。そしてそれが『仕事の極意』となったのです。別名『希望の極意』ですね。目に見える物事は何も好転していません。でも心には平安があるのです。ああ、神様は凄すぎる!娘の大学卒業を主にゆだねます。全て御心のままに。

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな(ヨハネ14:27)