Gospel Diary 『反抗期』2020.04.23

 

実は娘のグレース(16歳)と関係が悪くなって今月で10ヶ月近くなります。いわゆる『反抗期』、ある日とても無礼な言葉を吐かれ、僕が「ブチ切れ」思わず彼女を叩いてしまい、それっきり口を利かなくなってしまったというわけです。人の怒りは神の義を実現するものではありません。(ヤコブ1:20)とは真理ですね。その後も大声での怒鳴り合いを2度ほどやりました。まさに火に油、ついに近所の人から児童相談所に通報されてしまったのです!全くお恥ずかしい限りです。そんなこんなで妻は娘の事を『もうお手上げ!』と白旗を挙げ、僕はグレースに謝ったものの、その後、家に帰ってくるのが段々と遅くなり、夜11時を過ぎて帰ることが多くなったのです。ついに教会へ行くことも辞めてしまったグレース、それを問うと『暴力を振るっておいて教会へ行けなんて意味不明!』と反発、さらに『もうほっといて、私は地獄に落ちるのを待つだけ!』と吐き捨てる様に言いました。それが娘と交わした唯一の会話でした。

 

僕は冷たい態度の娘に苛立つことが何度もありましたが、自分の感情に任せた愚かな行動をより反省しました。そして罪悪感を振り払って教会の礼拝を欠かしませんでした。それができた理由は、教会の力強いメッセージにありました。『人は躓きます、転びます、過ちを犯します。だから神様に合わせる顔がない?教会に行く資格などない?いいえ、だからこそあなたは教会に来なければいけないのです!だからこそ主に助けを求めるのです!』福音がまるでバンドエイドの様に僕の心の傷の痛みを和らげてくれるのでした。そして娘に対してどうして良いか悩む時に、主イエスはいつでも『あなたがどん底にいた時、私があなたをどの様に取り扱ったか思い出しなさい、そして同じ様に娘にしてあげなさい。』と語られるのでした。ああ、過去に僕が大きく躓いた事には大きな意味と救いがあったのです。そして僕はハッとしました。「僕の過去の罪の歴史、それは僕の神様への反抗期だった!」イエス様はそんな僕を責めることは一度もなかったのです。あの頃、一番自分を責めていたのは他の誰でもない僕自身でした。するとすぐに、『きっとグレースもそうに違いない!』とわかりました。すると心が彼女のことを憐れむ気持ちでいっぱいになりました。神が僕にしたように今度は僕がグレースのための『癒し』となろう『救い』となろうと思いました。そう『恵み』は罪や過ちに左右されないのです。罪の増し加わったところに恵みもますます満ち溢れた(ローマ5:20) これこそが『復活の力』であり、神は生きておられる事を証明しているのです。

 

その後、僕は児童相談所の方が訪ねて来られました。僕は『せっかくこうやってお会いできたのだから、何かアドバイスを下さいますか?何とかグレースと仲良くなりたいです。』と聞きました。すると『口を聞いてくれないのであれば娘さんに励ましや感謝の言葉をメモに書いて渡したらどうでしょうか?』と助言を頂きました。早速メモを書いたり、そっとおやつを買ってきたりしました。しかし娘は依然として”ガン無視”状態。全く反応しません。それを見兼ねた妻がついに『あなたね、まだそんなことしてるの?あんな失礼な娘もうほっとけば?』と言いました。挙句には『そんなにしてまで娘に気に入られたいんですか?』などと嫌味を言われる始末。これじゃ問題が大きくなるばかり?ところがどっこい!僕は『あ、もしや奥さんも反抗期?』と少しユーモラスに受け取れて、その気持ちもごもっとも、とわかりました。これは主のおかげです。僕にはわかっていたのです、本当の敵が誰なのかが。そして聞こえていたのです、イエス様がこう言われるのを。『大丈夫です。全て私にまかせなさい。』生活の中に神を意識することは誠に有益ですね!聖書の話し、嵐の中でスヤスヤ寝ておられるイエス様を思いました。そしてただただイエス様の愛に憧れるばかりでした。そして最終的に相談所の方に『お父さんが2度と娘さんに手を挙げないということが良くわかりました。早く関係が修復される事を願っています。』と言って頂けました。

 

今月のある夜、いつもの様に娘が夜遅く帰って来たました。「またか」と思っていたら、玄関で彼女が『パパ、パパ!』と叫ぶではありませんか?どうした?と聞いてみると『ジョギングしていたら急に過呼吸みたいになって全身にアレルギーが出て赤く腫れちゃった!』見ると両手の指が全部むくんで真っ赤でした。『パパ、救急車呼んでもらっていい?一緒に病院へ行ってもらっていい?』これは一大事と思いすぐに119に電話して夜間の緊急病院に行きました。それがもう夜中の12時過ぎでした。入院になるかな?と思っていたのですが、結局、注射を打って、しばらく安静にしていたら落ち着いてきました。この夜、薬をもらってなんとか家に帰れました。タクシーを呼ぶと、娘が、『フラフラして歩きづらい、前が見えない』と言うので手を繋いでゆっくりと乗りました。なんと10ヶ月ぶりにまともなふれあいでした。そしてこの日を境に、娘との関係が良くなってしまったのです。これを『奇跡』と言ったら言い過ぎでしょうか?現在、娘はまるで何もなかったかの様に話してきます。神様はすごいですね!

 

神様は悪い状況を放っておきません。いや放っておけないのです。それがはっきりわかりました。この世界のいろんな問題に対して、それを神のせいにする人がいます。また『神などいるものか!』と怒る人もいます。しかし問題の只中にあってこそ主を信頼する道があるのです。僕は娘との問題の只中で神様の愛に頼りました。でもはっきり言っておきますが、それは自分の感情に嘘をついて無理やりハッピーなふりをすることではなかった。僕はイライラしたのです。メソメソ悲しかったのです。だからこそ神様にすがりました。「娘をなんとかして下さい。」と祈りました。無力な僕にできることは神様に「どうか代わりに問題を解決して下さい!」お願いすることだけでした。それが知恵というものでしょう?ただただ神様の愛と恵みに頭を下げて感謝するだけの自分です。最後に僕とグレースへの励ましの御言葉を書いて日記を終わります

 

愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブ1:19~21)

 

律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでした。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。(ローマ書5:20)