兵役を終える間際の2006年9月、私は最後の休暇を使用し、社会に出るための準備を進める。第一優先順位は日本語の塾に通うことだった。なぜかというと、日本留学を調べていた時、ワーキングホリデービザというのがあるのを確認したし、そのビザを取得できれば、一番、留学費用を抑えながら生活をできると考えたからた。しかし、その当時の日本へのワーキングホリデービザ取得の競争率は結構高く、簡単には取得できない。なので、私がそのビザを必要とする理由を具体的にかつ、日本語で書いた方が選ばれる可能性が高くなるだろうと予想した。(審査を担当する日本大使館からすれば、当り前のことで、やる気があるのか、計画はちゃんとしているのか、日本で生活はできるのかを重要ポイントとして確認するだろう)

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ワーキング・ホリデー制度|外務省 (mofa.go.jp)

ワリデー制度とは、二国・地域間の取決め等に基づき、各々が、相手国・地域の青少年に対し、休暇目的の入国及び滞在期間中における旅ーキング・ホ行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める制度です。各々の国・地域が、その文化や一般的な生活様式を理解する機会を相手国・地域の青少年に対して提供し、二国・地域間の相互理解を深めることを趣旨とします。

 我が国は、昭和55年(1980年)にオーストラリアとの間でワーキング・ホリデー制度を開始したのを皮切りに、以下の29か国・地域との間で同制度を導入しています(令和5年8月1日現在)

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ワーキングホリデービザを取得するための戦略を立てるために、まずは、釜山にあるワーキングホリデー協会という留学院に行って、説明会に参加した。やはり、大勢の人が説明会に来ており、高い競争率を確認することができた。そしてビザ取得時の日本での生活の情報を共有してもらい、日本語学校などの情報を入手できた。もちろん、一部有料だったと思う。

予想通り、一番重要なことは、日本でワーキングホリデーとしてどのように生活を送るのかを計画し、日本語または英語で作成して日本大使館に提出しなければいけなかったので、私が考えたのは、日本語能力試験に合格することで、その証明書を提出すると有利ではないか。。。

2006年時点では、日本語能力試験は1級(最上級)から4級までのレベルに分けられており、年度末の12月に1回しか、受験できない。1級は最上級だけあって、日本語を教える先生たちにも簡単には合格できないと聞いたため、まずは2級合格を目標に勉強していった。(今はN1~N5と変わっている)

日本語の塾に毎日通って1時間勉強、コンビニの深夜バイト時に3時間勉強、日本語のドラマをみながら勉強していき、一日4時間以上は勉強してたと覚えている。語学に王道はない。。。勉強し続けるしか方法がないのだ。。。

そして2006年12月に試験を受けた。聴解、語彙、読解、文法の4つの科目で、400点満点で240点以上であれば、合格したと覚えており、幸いにも1回目で合格できたのだ。

 

第一ミッションクリア:日本語能力試験2級合格

 

次は、2007年度の第1回目のワーキングホリデービザの募集に応募した。

申し込みの理由書と活動計画書を作成しなければいけなかった。もちろん、申請理由は日本の空手を経験して、勉強するためであるので、①日本の大学を巡りながら、練習すること、②日本語学校に通いながら、日本語を勉強すること、③日本語学校を通して、日本で暮らせる寮を借りることであると細かく書いた。

それに加えて、生活ができる予算を証明する必要があったため、ある程度貯めていた銀行口座の残高証明書も英文で出力して提出した。何より、重要なこと韓国の男子として海外生活に支障のない、兵役を終了したことも案内することで、全ての条件が日本に行くこと示していることを客観的な資料として証明することができた。

そして結果発表を待つ。。。。戦略及び本気さが伝わったのか、合格だった。。。

難しいと言われている日本ワーキングホリデービザを1回目で取得ができたのだ。日本語能力試験2級合格もそうだし、準備を徹底的にした結果、全てが無駄なく、計画した通りに進んでいた。

 

第二ミッションクリア:日本ワーキングホリデービザ取得

 

余談だが、一見、このような経験が無駄を省いて前に進む原動力にもなったが、今の私の状況を考えると、失敗なく進んだことがかえて今、チャレンジに当たって失敗に対する不安や恐れを感じさせているかもしれない。なので、準備したが、うまくいかない、失敗するというショックを経験しながら、前に進むのも決して悪いことではないと思う。

 

この結果、私には日本語がある程度できる実力と1年以内にいつでも日本に行って1年間暮らせる合法的な滞在許可があったので、非常にわくわくしていた。すぐに、以前、情報をもらえた釜山の留学院を通して、大阪にある日本語学校と寮を調べて、費用や便利性などを考慮して大阪にあるメリック日本語学校に決定した。まずは3カ月間の短期語学研修と寮を申し込みし、学費、寮費、往復Open航空券で500万ウォン(50万円程度)を支払う必要があった。アルバイトをしてたが、そのくらいの大金はなかったので、両親にお願いするしかなかった。ただし、簡単にお金を提供する両親ではなかったため、私の人生計画書という報告書を書いて、500万ウォンを借りたいとお願いした。 

息子の努力や留学に感銘を受けたのか、借りることができたのだ。

後日、お父さんは私の計画書を見て非常に安心して、喜んだと聞いたことがある。

 

第三ミッションクリア:日本語学校登録と寮を確保

 

このように、兵役を終了し、自力で日本留学を準備から実行まで、8カ月がかかった。

その間、地元の道場で空手の練習を続けてきたし、あとは大阪にいくだけだった。

 

2007年6月7日!! 私は日本の大阪関西空港に一人で出国することになった。そして空手の目的のため、東海会長

からいただいた大阪の路線図と携帯電話番号が書かれているA4の紙を片手にもって。。。。

 

そして、私の人生を大きく変える日本の生活が始まったのだ。。

 

続く。。。。。