2004年9月、私はとある部隊に志願して入隊した。(韓国は兵役を義務づけられている)
軍に入隊する前の私の大きな目標は4年に一度あるアジアのオリンピック大会の空手種目で金メダルを取り、兵役免除を目指すことだったが、(オリンピック銅メダル以上、アジアオリンピック金メダルで特別待遇がある)その当時の私には実力的にも環境的にも厳しかったので、兵役を早く終えて自由の身になりたかったのだ。なぜなら、韓国の男性は成人になった後、兵役義務を終えないと海外出国時にいろいろな規制があるので、どうせしなければいけないなら、早くという心境だった。
”経験の違いからくるものだが、韓国では軍隊経験話をすると非常に退屈そうな顔で見られるが、日本では軍隊の話をするとみんな興味津々に聞いてくれて、質問がたくさんあったのだ”
韓国の東北、北朝鮮に面しているとある地域が私の部隊として決められた。人生で初めていった地域であり、ソウルからは直行バスなども出ていないほど、田舎の地域だ。その部隊は悪い評判もあり、厳しいと言われている。今や、部隊内での銃殺事件などで、部隊自体が解隊されるほどのところだった。入隊後、自分の所属部隊に行く前まで、約5週間の訓練部隊というところで、基本教育を受ける。歩き方から、敬礼の仕方など、戦う方法というよりは軍人としての基本素養を学ぶのが最初の2週間のプログラム、その後、銃撃訓練などに入る。余談だが、軍隊に入隊すると朝は6時に起床、夜10時にはみんな就寝す日課となる。
全く経験のなかった韓国男子にとってこの生活になれるには時間がかかる。うそではなく、私も最初の1週間以上はトイレもできないほどだった。2週間が経ってからやっと快便できるようになり、身体も心も適応できた気がする。
9月に入隊した私は、1か月の訓練所生活を終え、自分の部隊に配属される。そこには先輩(上司)がいてて、階級社会そのものである。一日でも早く入隊した人が上となる仕組みだ。生活部屋に入るそして緊張する。一部屋に15人~20人が共同生活を行う。10月末というのに、雪も積もるくらい降ってくる。あり得ないところにきてもうだ。。。
ここは韓国ではない。北朝鮮にいるような気分だった。
それでも時間は過ぎていく。そして2年間の内、3回場所を変えながら生活する。たまにある休暇で家に帰れる日が何よりもうれしい。お金よりも自由が一番の価値が高いのだ。。。
軍隊の経験をしながら、自由を奪われた韓国の青年たちは組織でいろいろなことを学ぶ。やれと命令されれば、それが正しくても正しくなくてもやらなければいけない。無駄と思うこともたくさんあった。例えば、運動場のグラウンドにある石を拾うとか、そこをほうきで掃除するとか。。。。しかし、良かったことは、今までの回りの環境とは違う人生を送った若者が集まり、共同生活を送っていくなかでの規範であったり、協調性を学べるのだ。何より、自由がないため、私に自由があれば、何が一番したいのかが見えてくる。普段の自由や当たり前がそこでは当たり前じゃなくなるため、感じてくるものがある。
そして感じた。私は空手が強くなりたい。。。。
そして考えた。日本に行って本場の空手を学びたい。
そして決めた。日本に行こうと。。。。
このようにして、私の日本留学に対する想いは強まった。そして確固たる目標ができたのだ。だから、軍隊にいる間に、その準備をする時間として前向きにとらえることができたのだ。しかし730日(2年)の生活はあまりにも時間が過ぎるのが遅いのだ。
いずれにしても日本留学を計画して準備していこう。。。。
どのように準備したのかは、、、、
続く。。。