2002年釜山アジアオリンピック大会

私に韓国代表というのは憧れのものだった。もともとはサッカー選手になりたかったが、それができなかったため、他の種目で韓国代表の夢をかなえるということ、そしてジュニア代表ではなく、メジャー大会の代表選手として国のために活躍するということはその当時に私にとっては非常に高い価値あるものだった。

 

私はアジアのジュニア大会で負けたものの、銅メダルを獲得した経験もあったし、代表先発の大会でもよい成績を出していたため、ある意味、この業界では有名になりつつあったのだ。そして高校2年生というのは成人ではないが、十分、成人には負けない実力があると考えたし、自信もあった。(韓国での空手は底辺が薄く、日本程の競争ではなく、3回くらい勝てば、代表に選ばれる程度のレベルだ)ということで、内心、釜山アジア大会の空手競技に(韓国では初めて開催される)代表として選ばれて参加したかった。

 

ところが、、世の中は私が期待していたほどの合理的なところではなかった。

問題は、私がまだ成人ではないという点もあったが、当時の韓国空手連盟は釜山のある一家が全権を握っている団体だったので、すべては彼らのグループに優先順位が回るということを知った。韓国代表として全部で5名が先発されるのだが、当時の連盟の会長の息子、そしてその道場で練習している他の4名、こうしてすべて彼らの身内が大会に出られるチャンスをつかむことになった。(せめて一人くらいはよそに分け合ってたら、ビジネスの考えとしても長続きしたはずなのに。。)その中には私の同じ階級の選手もいたが、韓国国内の試合では私が勝つ場合も多かったため、正直納得はできなかった。

 

  ” これが大人の世界なのか? ” 

この時、私は悟ったかもしれない。世の中は決して公平ではないことを・・

実力はもちろん重要だが、時には運や交渉、都合などの様々な要因によって結果は変わることもあるということを・・

結果的に、韓国の代表選手は釜山アジア大会空手競技種目に5人が出場し、一人が銅メダルを獲得する結果となる。

 

4年に1回の重要な大会であるため、私は4年後を目標に準備しようという気持ちになった。ちなみに、韓国男子は20歳以降、兵役を義務付けられているが、アジア競技大会で金メダルを獲得するとそれが免除になる優遇策がある。

私はこの経験を通して、現在の代表選手先発選定に影響を与える実力以外の外部要因を取り除くために実力をもっと高めていくしかないことが必要であると感じた。(しかしながら、2006年には私は兵役に志願して軍隊にいる状況になる)

それを成し遂げるためには、心の中で、密かに、日本で空手を学びたいという夢をみることになる。どのように準備して実行するのかは何一つ判っていなかったが、まずは一つずつ確認していくことになった。

 

この経験は私の人生において

日本留学 ➡ 日本の大学に入学 ➡ 日本の空手大会に出場 ➡ 日本の大学主席卒業 ➡ 韓国大手就職失敗 ➡ 日本の中所企業に就職 ➡ 国際結婚 ➡ 海外業務遂行 ➡ 日本の永住権取得 ➡ オランダ欧州法人設立 ➡ 欧州事業展開 ➡ 欧州(オランダ)永住権取得 ➡ 事業展開の傍ら空手道場開始の現在となる。 

 

なお、私は韓国糸東流空手道連盟の海外理事を歴任しており、この組織を通して韓国/日本の道場経営者とも協業を考えており、今までの人生をこのブログで振り返ることによって、夢を共有し、目標としていることを成し遂げていくための自分への言い聞かせの役割として続けていきたい。

 

海外に興味があり、新しい道を開いていきたい方々へ私の意見を共有をしつつ、お互いより良い方法を見つけていくのに、少し役に立てれば幸いだ。

 

続く。。。

 

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