時は1999年、中学校2年生のごろだと思い出す。

中学校を通っていた私は、友達とつるんで悪事をするときもある思春期の少年だったような気がする。そういう私の10代の時、強くなりたいという希望よりは、友達が行くからという軽い気持ちである道場に足を運んだのだ。

そこは真武体育管、日本語で言うと、空手道場である。空手を教えているということだが、私はそれが何かすらわからなったし、単に道場の館長は怖い方だった。

ただ単に、喧嘩が強くなれば、もう少し、一軍として学校で威張ることができるのではないかという乗りで、友達と道場に通い出しだが、次第に空手の魅力にはまることになった。思った以上に、頑張れば頑張る程、うまくなっていく姿が目に見えてくる。

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元々、サッカーがしたかったが、お父さんの反対で断念せざるを得なかった。理由は勉強に集中しろと、、、運動選手は飯食っていける可能性がひくいとのことで。。。。(今振り返ると間違ってはいない)

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運動選手に対する憧れもあった時期なので、空手をするのが楽しかった。

初めて韓国の全国大会にも出場した。選手層が浅いので、誰でも大会に出れるし、参加人数もそれほど多くなかった。それにしても初大会で14歳部で金メダルを獲得した。

そして、人生で初めて、韓国のジュニア代表に選ばれ、アジア大会に国を代表して出場することになった。

国の代表とはいえ、非常に熱悪な環境なので、大会の参加経費も自腹で支払いをしないといけなくて、韓国の連盟からはほぼ0に近い支援しかなくて、両親に無理やりお願いし、大会に参加することができた。

香港マカオ、、、、私の初の海外経験はこうして2000年に始まった。

 

続く。。。