Twitterを初めて1年以上が経過した。フォロワーは500人とか。始めた当初思っていたより大規模である。しかしその中で私が把握しているのはほんの一握り、十数名といったところか。何故なら、他人に興味が無いと言った理由もあるが殆どの人数あるいはフォローしている数以上の人数をミュートしている為だ。はっきり言って「お前なんぞの食った物、顔、愚痴、職業等興味はない。」のである。そんな全くの見ず知らずの他人の此の様な瑣末で面白くない事象、誰が興味ある物か。私は「宇多田ヒカル」「椎名林檎」についてのツイートしか気を引かれないのである。そしてその目的の為だけに素性を隠してアカウントを作成した。詰まる所、皆とはあまり価値観が合わないのである。
そんなある日、Instagramのような発信せずして興味のある有名人のみをフォローするアカウントを作成した。何と気楽な事か。自分が常に誰かに見られている、誰でも見る事の出来る状況に置かれている己から解放されたのだ。あんな取り繕った自作自演等もしなくて良い。ありのまま、何も考えずして、発信せねばならないことも無いのだ。
しかし趣味の為の自作自演アカウントを消す事も拒まれるジレンマがある。其れは、遠い存在の推しとのコミュニケーションが取れるもしくは彼女らの目に触れる可能性が0.00000000000001%でもあるからである。宇多田ヒカルはTwitterを開設し、ツイートに対する私たち愚民のクソリプに目を通しておられる(可能性が高い)。椎名林檎は表向きやってないとしながらも、高みの見ものとして愚民の呟いた愚かなツイートも細かくチェックし、其れが反映される場合もある。「ライブで隣が椎名林檎だった」「喫煙所に椎名林檎が居た」「レストランに宇多田ヒカルいた」よりも恐らく確率が遥かに高い(此れを死ぬまでに一度は体験したい物であるが)。よって此のやうな理由で積荷でしかないアカウントを消すことが出来ない。言い訳でしかないが「自作自演」によって全て己が決定づける事が可能な為、仕方なく偽り続けている。それに加え、自己顕示欲の少なさ。自分と同じように誰も私の事に興味が無いのであろうと考えている。よって中の人についてのツイートはなされない。こうして聴衆(フォロワー)との溝が深まっていく。愚かだ。悪い事ばかりではなかったが、不満が募って仕方がない。こんなの、つまらない。もうどうでもいい。そんな気分だ。
けれど私は続ける。己も疲弊する自作自演アカウントを。益のある情報、目撃情報、コヱの更新情報、最新情報を収集する為。そして私の愚かなツイートが彼女らの目に触れることを願って。
補足:翔んで埼玉見に行きたい。私だって半分は埼玉人。血が騒ぐ。