タイトルの通り文化祭の思い出話をする。
私は4日前に喉を痛めて以来、其れが治ることなく悪化している。やっとの思いで医者(幼少期に通っていた約10年ぶりに行った)にかかった物の発症してから既に3日が経っており手遅れである。医者が親切でカッコよくて…と言った事も気分が少し晴れた要因であるが、それ以外に鼻の粘膜、扁桃腺も腫れていた。風邪によくある併発に次ぐ併発。その日は37度も熱があり、文化祭1日目の劇での音響を全うしてからの保健室直行というセトリ。もう思い出とか何もない。とりあえず辛い。精神的にも。

そして2日目だ。私は軽音楽部で基本ドラムを担当している。しかし椎名林檎にハマってから(約1年半前)ボーカルに対して強い憧憬があり、バンドメンバーに我が儘言って(とは言うもののすぐ快諾)文化祭ライヴに向け着々と練習していたのだ。曲目は勿論彼女の曲。「正しい街」だ。最初は歌い慣れた「ここでキスして。」にしようかと思ったのだが、大衆の前でキスしてと煽るL J Kってちょっとどうなの?と疑問になりボーカル兼キーボードと相談し、この曲に決めたのだった。

3年になると色々進路の事で忙しくなる、と言っても進学先は決まっているので比較的楽なのだが4月から9月までライヴの期間が空いてしまったのだ。そして1年で一番観客が多い文化祭ライヴで私はボーカルとして披露することが決まった。
ボーカルを担当するのは実は2回目なのだが、前回の「幸福論」は2年生の時に披露し部長にえらく褒められた事による良き思い出が鮮明に映えている。そのためヴォーカルに対する不安や抵抗は私の中ではあまり大きくは無かった。寧ろ大勢からの喝采があるのではないか、などと傲慢な考えさえも抱いていた。

然し、その直前私は風邪をこじらせる。幸い声帯は林檎(椎名林檎のことは林檎と呼ばせて頂く)と同じく頑丈である。8時間カラオケで歌う事を2日続けても何の支障もない程だ。其れに漬け込みどうにか咳さえ出なければ大丈夫なのではないかと、淡い期待を寄せていた。けれど私の容態は悪化する一方であり、泣く泣くライヴの前夜にキーボードと臨時ドラムにLINEをし、謝罪と明日の登校すら出来ない状況にあることを晒し出した。
ここで私は大きくショックを受けると同時にこんな時期に風邪をこじらせる自分に腹が立った。私がどんな行いをしてこんな結末になったのか。折角今まで練習(私の熱血指導もありつつ)してきた事が無駄になってしまった…そしてメンバーにも迷惑をかけてしまったと。
正直クラスの劇などにはやる気を見出せず、私の最期の文化祭は此れに懸けていた節があったため、ショックは倍増した。ヴォーカルという花形ポジションと大衆の前で好きな曲を歌わせて頂けるという恵まれた環境。それらを全て無駄にしてしまった虚無感が大きくあった。

結果、キーボード兼ヴォーカルが「正しい街」を歌うことになった。私は体調がすぐれないことを表立った理由とし、平成最期の、高校生活最期の文化祭を欠席した。本音を言えば参加したところで自分が歌えないもどかしさや罪悪感を感じたく無かったが故の決断である。
終わった頃を見計らい、彼女に連絡をした。謝罪と今日はどうだったかと言う内容を聞くためだ。何故か少し不安を覚えた。一応どうにかなった、というのが彼女の返答だった。私は少しのの安堵とこれで終わってしまったのだと言う虚無感を大いに味わった。

そしてリベンジを誓った。

チャンスはまだある。11月と2月の2回だ。11月と言えば3日に林檎博に参戦する。それを踏まえてより良いパフォーマンスが出来るのではないか、と考えられる程に私は立ち直った。傲慢過ぎる考えだとは思うが、そうでもしないと私の精神は保たない。ポジティブ思考に持ち込む事を最優先しただけである。
そしてその為には林檎の力も必要だったから私はDynamiteを見た。あの頃の彼女はまあ可愛い。本当に可愛い。可愛さのピークではないか。そこで私は我を忘れて思いのままに声を出し、鼻声と喉の痛みを痛感することとなってしまった。





其れが今日の話である。何もない私の日常にしてはかなり精神的に激動の数日であっただろう。こんな長くなってしまったのも致し方ない。それにこんな時間まで寝ずにスマホをいじっているから風邪を拗らせるのだ。