6434人の尊い命を奪った阪神・淡路大震災から20年目を迎えた本日
「1・17 KOBE MEETING 2015」
(17:30開場、18:00開演)
を観に新神戸オリエンタル劇場に行きます
神戸ミーティングはシンガーソングライターの平松愛理さんが主催し、毎年開催されている震災復興支援ライブです
神戸出身の平松愛理さんのご実家は全壊されたそうです
そして、1995年4月にはチャリティーソング
「美し都(うましみやこ)~がんばろやWe love KOBE」
をリリースしています
私が初めてこのチャリティーライブを観に行く理由の1つは、バックメンバーの中にドラマーの村上“ポンタ”秀一の名前があったからでもあります
ポンタさんをライブで観たのは、1991年の角松敏生コンサートが初めてであり最後でもありました
ご存知のようにポンタさんは64歳になられた現在でも日本で最高のドラマーの1人です
今回「1・17 KOBE MEETING 2015」開催のことを知ったのは1月14日(水)の早朝、NHKのニュース番組「おはよう日本」に平松愛理さんがVTRで出演されているのを偶然観たからです
そしてその日の夕方に大阪に行く用事があったので、梅田のチケットぴあに寄って完売寸前だったチケットを何とか手に入れることができました(勿論、事前に電話でチケットが残っているかは確認済み)
翌朝のスポーツ新聞の特集記事の1つ「あの日を忘れない」に平松愛理さんのメッセージが掲載されておりましたので抜粋してご紹介します
以下、2015年1月15日(木)のデイリースポーツより
◎これまで、震災から5年目も10年目も15年目も、人の命に節目はないと言い続けてきましたが、20という数字はやはり特別ですね。震災の年に生まれた赤ちゃんが成人を迎える。自分がやってきた「KOBE MEETING」の19年間の思いの、1つの結びとなるような気がします。
◎神戸レインボーハウス(あしなが育英会が運営する震災遺児施設)に、震災の年に生まれた赤ちゃんがいたんです。命が失われる虚無感が心にあふれている時に、新しい命が生まれるんだ…っていう感動がありました。
◎私も(子宮内膜症のため)かなり危険な出産をして命の重みを経験したことがあります。生きていられる事実が当たり前になっている中、それがいかに特別なことか、震災によって志半ばで失われた多くの命が教えてくれたと思います。
(中略)
◎風化というのは恐ろしいもので、震災から3年もたつと、東京でも、1月17日だから神戸に帰ると言っても「何で?」という反応です。阪神・淡路大震災と言えば、ああ、となるんですけど。特に東日本大震災が発生してからは、新鮮な話を聞いているようなリアクションで受け取られている気がします。
◎だからこそ、あの日のことを、1年に1回でもいいから思い出し、手を合わせ、今生きていることを見つめ直し、自分に何ができるんだろうと考える。そういう時間を持ってもらえれば。それが「KOBE MEETING」を開催する意味だと思っています。
(聞き手・福島大輔)
更に昨日は同じ紙面の特集記事にて、震災当時神戸にて被災されたジャズシンガー兼ピアニストである綾戸智恵さんのメッセージが掲載されておりました
以下、2015年1月16日(金)のデイリースポーツより
◎震災では不思議なことがあった。前日に仲良うしてもろてた長田にある船会社の社長さんの家でパーティーがあって、長男と参加して、泊めてもらうはずやった。でも長男が急に「イヤだ。ペチャンコになるから帰る。ママが血だらけになる」って言い出してん。
◎帰るとお母ちゃんが居間のこたつで寝てた。それで私たちも寝室に行かずにこたつで寝た。そしたら地震。電子レンジとか全部落ちてきたけど、こたつで全部止まって無傷やった。寝室にいたら危なかった。社長の家は全壊。泊まってたらどうなっていたか…。
◎今でもライブで神戸に行くたびに街を歩くけど、昔より静かで暗い。でも復興って、あのにぎやかな時代に戻ることやない。未来に進むことやねん。つぶれたものを元通りにならんと嘆かず、前より良くすればええ。
(中略)
◎東日本大震災直後に宮城で歌う仕事があって「こんな時に歌なんか聴きに来えへんやろ」と思ってたけど、いっぱい来てはった。「おたくら、家建てるのが先なのに、こんなとこ来てよろしいのか」と聞いたら、お客さんがこういうた。
◎「家建てる前に心建てないと。歌うてちょうだい」
◎この言葉にはガーンと来たね。私にとって歌は“食いぶち”だったけど、あのときに“夢”になった。「痛みを伴った人に喜んでもらうのが私の歌や。私は炊き出しじゃなく、自分にしかできない歌を歌えばええんや」と分かった。
◎東日本大震災の1週間前には、福島のいわきでライブやった。その後、ライブに来てくれたお客さんと話す機会があって「どうでした?」と聞いたら「家は全壊でした。でもよかった。1週間前だったから、綾戸さんの歌が聴けたから」って。そんな話を聞くと、もう歌の出来栄えなんて、どうでもええかって思える。慈善事業じゃないけど、人が喜んでくれてお駄賃をもらえる。それで十分や。
(聞き手・杉村峰達)
20年前、東京で働き松戸市に住んでいた私は今では母の故郷である姫路に引っ越してきて18年目を迎えました
震災の約1ヶ月前に母を亡くした喪失感もまだ大きかった私にとって、20年前の朝のニュースを目にした時に、まるで映画でも観ているような非現実的な映像をただ呆然と見つめていました
神戸に住んでいて家が全壊した親戚もおりました
東日本大震災もまた同じように、ただ呆然とニュースを見つめるばかりでした
今後も日本列島の東海沖から東南海沖、南海沖にかけて、ある日突然大地震が大きな被害をもたらす可能性が非常に高いことはずっと以前より予想されています
だからこそ、生きていることを当たり前なことではなく、一日一日を大切に過ごしたいと改めて思います
阪神・淡路大震災で亡くなられた方たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます
合掌