2007年5月某日
僕はインドのコルカタ(別名カルカッタ)でオーストラリア人のジェシーから猛烈なアタックを受けた。
当時英語も全然話せなかった僕に対して彼は熱く語る。
ほかの日本人に通訳してもらったりしてみると「インドの山奥にあるナガランドにいってみないか?」とのことだった。
インドについて間もない僕は特に次の行き先を決めてなかったこともあるし、ジェシー曰くほかにも日本人が2人一緒に行くことと、
ナガランドまでの手配はすべてジェシーがしてくれるとのことだったので、ジェシーたちについていくことにした。
本当に軽い気持ちで。
コルカタを出てグワハティーという町に向かった。
ジェシー
ナガランド到着までは少なくとも二泊以上はした記憶があるが
もう12年も前のことなので鮮明に覚えてないのが残念。
ナガランドへは電車やバスを乗り継いで行ったが、最後はホームステイ先の人に迎えに来てもらい
このバンに乗せてもらって村まで向かった。
車は時々僕たちを上下にはねさせたり、左右に振ったりしながら道を進んでいったことが印象的だった。
ナガランドにつくと
ホームステイ先であいさつを済ませて、家の庭でくつろいでいると、
何やら異国人がきたという噂でも出回ったのか、村人や子供たちが塀越しから顔をのぞかせていた。
村の中を散策してみると、どの民家からも僕たちを珍しそうな目でみていて、
僕たちがそちらを向いたり指をさすと、みんな顔を隠してしまう。
初日なんかは僕たちが歩くと後ろからは子供たちがひたすらついてきていた。
そして振り返ると、逃げたり笑ったり泣いたりされた。
何日くらい滞在したんだろう。1週間もいなかったが、日がたつにつれ村の子供たちは僕たちを警戒しなくなった。
村を散歩していると、骨などが多くみられた。
この時は首狩りの風習があった(ある?)村だったなんて信じられなかった。
雨水を汲んだタンクに蛇口がついているものはあったが、
この村では水道というものは見られなかった。
そしてガスも無かっただろう、すべては焚火の直火だった。
電気は辛うじて通っていたが、停電は当たり前だった。
停電に驚くものも、文句を言うものも誰もいなかった。
本当にタイムスリップしてしまったような感覚になった。
ホームステイ先のおじいちゃんが若かりし頃の服を着てくれた。
それを僕たちにも着させてくれたが、
この槍が衣装というよりも、正真正銘の武器だった。
ナガランドではいろいろなものを見た。
ここでは書けないようなこともあった。
ジェシー曰く、ナガランドに入れるようになったのは2007年からだという、
そしてナガランドにきた日本人はお前たちが最初だと言っていた。
なんでも、ジェシーがナガランドに行く仲間を求めていたのにもわけがあった。
4人そろわないとナガランドに入国するパーミッション(許可証)が手に入らないからだ。
僕たちはパーミッションを手にしてナガランドに入国したのだが、1週間もたたないうちに僕たちは警察によって追い出されてしまう。
不正入国ということで・・・
ジェシーはコルカタに居る間からパーミッションの申請に何度も政府オフィスを訪ねていたし、現に僕も何度か一緒に足を運んだ。
手続きはすべてジェシーがしてたので、何を話していたのかまではわかってはいなかったが、ナガランドの警察によると落雷があったかなんかで、コルカタから連絡がきてない。というような内容だったが
あまり信じられなかった。
ジェシーはかなり激怒しながら現地の警察ともめたが、明日までに出ていくように言われた。
さもなくば本当に不正入国とみなされ最悪の事態にもなると脅されたようだった。
ジェシーはとても残念がっていたが、僕はこんな秘境にたった数日でも行けたことを本当に感謝した。
この当時は僕はナガランドが首かりの風習が最近まであったことを知らなかったし、
今になって思えば、警察の判断は僕たちの安全を図ってのことだったのかも知れないし、その真意はわからない。
ただナガランドにはいくつもの部族やエリアがわかれているので、もっと危険な地域もありそうなことは確かだ。
もっと奥地まで進みたかった気持ちと同時に、電気や水道、ガスがある街に戻れることにも少しほっとした。
せっかく子供たちとも仲良くなってきたのに、別れなきゃいけないのはつらかった。
13年も前の話だが、彼らは立派に大人になっているのだろうか。
いつかこれらの写真をもって、この地にも戻ってもみたい。
【2007年 19歳 エチオピアを目指す旅の途中で。】