いろんな事に慣れてしまってる。

人の死、悲しい気持ちを消化するメンタル処世術

こんなの嫌なのに


慣れと言う言葉で

悲しみから逃げようとしている。

ここ10年 何回 黒い服を着ただろう。

何回 悲しい知らせを聞いただろう。


そして誰の最後も看取れなかったむなしさ


みんな最後に会った時は 笑顔で

きっとすぐまた会えるって思ってた。


母とはインフルエンザ、コロナで

ずっと面会出来なかった。

会いたくても会えなかった。

そして1人で逝ってしまった。

病院に着いた時 まだ少し暖かい手が

余計悲しくて。

ごめんね。しか言えなかった。

それでも葬儀では涙も出ず

こう なんて言うか

心をオブラートに包んだように

悲しみから守るように

慣れと言う気持ちで優しく心をガードした。

思い出したくない、嫌な事は忘れると言う

心の逃し方も 私は出来てるんだと思う。

ある意味 メンタル疾患🤣

無感情人間と言われる事多いから

きっと 無になってるんだろうな。

ひどく病んでたころ

メンタルクリニック通ってて

自分でもわけわからなくなるくらい

ぶっ壊れてた。

たくさん薬出され 逆にひどくなって

多重人格障害ってやつになった。

苦しい、悲しい、つらい、そうゆーのを引き受ける人格が出た。

その人格が出てる時の記憶はなく 

周りに言われるまで 気付かなかった。

それを治った?と言うか今の私になれた話は

今度 書こうかな。

だから 今はつらい事を引き受ける人格がでるのではなく

つらい事をガード出来る自分がいるのかな


これでいいのかわからないけど

悲しい時は悲しいって

取り乱した方が正常なのかもしれないけど


慣れと言う言葉に守られてる私のメンタル