※自分でも読みにくかったので、少し書き足しました。

 

実家での伯母の葬儀から帰って来て、3日経ち、荷物が片付いたので、母と姉伯母の住むS市福祉課の介護相談員さんに連絡をした。

 

2月中旬にいろいろ相談して、3月中旬にはケアマネが決まったはずなのに、4月中旬に訪問看護もデイサービスも決まっておらず、お風呂の福祉器具も付いていない。

 

ベッドの足元に、必要のない手摺りが付いていた。

 

どーゆーことー!?

 

デイサービスの話をしたら、母がボソッと「でも、姉伯母がデイサービスに行ってしまうと、私一人になっちゃうのよね。」と言った。

母が拒否していたのかな。

 

 

それも合わせて、今回の帰省で母や姉伯母と数日一緒に過ごして、伝えなければいけないことがある。

 

ひとつは、冷蔵庫。

元々、冷蔵庫の中で食べ物を腐らせる母だった。

冷蔵庫を魔法の箱と思っている。

家に行き、買ってきたビールを冷やそうとしたが、冷蔵庫がいっぱいで臭いもしていた。

 

そして、その日の夕食はその日買ってきたものだった。

つまり、冷蔵庫はいっぱいだが、冷蔵庫の中のものはほとんど食べていない。

 

2か月くらい前、父の住む実家に3,4日行き、帰ってきたら姉伯母が嘔吐と下痢で大変だったと言った。

「実家に行くと体調を崩しちゃうの。」と言った後にポツリと「食べたものが悪かったかな」と言っていた。

心当たりがあるのだ。

 

それは、わたしも確認できた。

葬儀で帰省した時、最初に母の家に泊まり、夕食の時に長時間テーブルに出していたお刺身が残ったのでラップをして冷蔵庫に入れていた。

次の日に父の家に移動するので、朝食べるか、持って行くのかと思ったら、行く途中で食べ物を大量に購入していき、そのほとんどお惣菜やお弁当やパンなどだった。

それを1泊の滞在中に食べ、帰った後、まるで1泊したのを忘れたように、一昨日の夜に冷蔵庫に入れたお刺身を出してきた。

 

あ、姉伯母の体調不良の原因は、これか。。。と思った。

 

 

もうひとつは、パニック。

わたしが帰る前に、お寺から伯母の葬儀の日の午後に別のお葬式が入ったと連絡がきたらしい。

その時に、そのまま本堂は使えるのか確認するのを忘れたと、葬儀当日の朝の6時前に気づいて目覚めたようだった。

そして、お寺に確認の電話をする7時すぎまで、ずっと「メモしてたのに、ちゃんと聞くの忘れた。」と言いながら、うろうろしていた。

もう、他の事は耳に入らない様子で、確認の電話をしたら落ち着いて身支度を始めることができた。

姉伯母と二人の時、もしそのような状態になったら、たぶん姉伯母の世話はできない。

 

実は、母はわたしには「お店が忙しい時は手伝いをしている」と言っているが、父が言うにはお店が混んでも、何をしていいかわからず、「どこに何があるかわからない」とキレながらうろうろしているらしく、邪魔だから二階の自宅にいるらしい。

 

母は「お客さんが出入りする時にチャイムが鳴るので、姉伯母が不安になるのではないか?」と言っていたが、不安になるのは姉伯母じゃなく、手伝わなくてはいけないのに何もできない母の方なのかもしれない。

 

 

最後は、記憶。

 

これが一番、やばい。

 

2月に帰った時、わたしと一緒に回転寿司に行ったことを覚えてなかった。

 

移動途中、その回転ずしの前を通ると、まるで初めてわたしに教えるかのように「ここにあの回転寿司のお店が出来たのよー!」と言う。

「2月に一緒にここに来たじゃない?」と言っても、「ママをショッピングモールでピックアップしたじゃない?」と前後にあったことを言っても、思い出せなかった。

自分がひとりでショッピングモールに来た事も忘れていて、その日の記憶が、すっぽり抜けていた。

 

一緒に過ごして、わたしが違和感を感じたのは、姉伯母より母だった。

 

姉伯母は股関節の傷みで、自由に動けないが、頭はしっかりしている。

見当識障害があるように診断されたが、毎日母とふたり、家事も何もせず、出された食事を食べて、テレビを見て、変わり映えしない生活をしていたら、そりゃ今日が何日かわからなくなる。

85歳だもん。

母が世話しているように見えて、姉伯母に面倒を見てもらっている。

それは、ずっと前から、今もそうだ。

でも、姉伯母も85歳だもん。

 

みんな、母の事をまともだと思い過ぎてる。

伯父の時と同じだ。

とてもわかりにくい。

 

でも、専門家ならわかると思うから、日常生活に第三者(訪問看護師さん)が入る必要があるんです!

早くして~!!!