1週間ほどイタリアを旅行してきた。半分ベネチア、半分フィレンツェ&ピサと北イタリアに絞ってある。歴史が好きな僕としてはヨーロッパの中でもイタリアは格別であったが、今の今まで訪れる機会がなかったのは恥ずべきか。ローマや南イタリアも魅力あるが、詰め込み旅行は性に合わないため今回は見送った。またこの旅行は妻への誕生日プレゼントでもあったため、妻の希望を優先した(というと聞こえがいいが、旅のプランを丸投げしたといったほうが正しいかもしれない…)。
観光もさることながら、ベネチアではリド島にホテルを取っており、真っ青な空と海、照り返すビーチと煌くビキニギャル、といったバカンスをどうしても外せなかった僕は、出発前にチェックしたBBCウェザーのイタリア天気予報が示す1週間ずっと雷雨マークには、卒倒しそうなくらいの絶望感を与えられた。ところがふたを開けてみれば、たった一度だけ、しかも列車での移動中に見舞われた激しい夕立だけで、あとは全身日焼けで皮膚がむけるほど始終、晴天に恵まれた。
各イタリア観光については至るところで触れられているので細かいところは書かないが、ひとつ感じた点を触れたい。イタリアはこれまで訪れた国の中でも、非常にホスピタリティが行き届いていた。それは何も過剰サービスや至れり尽くせりといった類のものではなく、人々が生き生きとしており、もてなす側として純粋に楽しんでいるといった印象を受けて心地よかったという点だ。業務上愛想笑いではなく、フロントとして接客するあらゆるサービス業の人々には、仕事そのものと人々とのコンタクトを純粋に楽しむ姿勢があり、それが結果として顧客の笑顔を呼び、自らの笑顔に跳ね返るという、言ってみればシンプルであるが、「高度な技術」を身につけているのである。
イタリアはブランドと観光で持っている国だ。フェラーリは産業というよりブランドだろう。ファッションや食べ物、カルチャーにブランド料としてたっぷりと付加価値を加算できるシステムが出来上がっている。それに加えて、これほどの観光客が世界各地から絶え間なく押し寄せてくるのは、ただ過去の歴史的遺産にたよるだけではなく、旅行者を幸せな気持ちにさせるサービス環境がうまく機能しているのが決定的な要因ではないかと思う。ローカルの人々からは心地よいポジティブなエネルギーを感じ、また滲み出る自信は、横柄というよりも自らの人生を楽しんでいるという姿勢から生まれているものであろう。
イタリアは南北で非常に貧富の差が激しい国で、今回はその富める部分しか訪れていないため、国としての総評はできない。ただ、人々を魅了してやまない国の真髄を垣間見た気がした。昨年秋に訪れたポルトガルとの格差をあらゆる角度で確認できた旅でもあった(ポルトガルの名誉のために書いておくが、決してポルトガルが魅力のない国であるという意味ではない)。またスペインと比べてみても、やはり圧倒的にイタリアに力を感じる。イタリア人は子供のような無垢な素直さを保持しながらも、したたか且つ長期的なブランド・マーケティング戦略もやってのけるという、離れ技を披露しているのである。我々日本人も学ぶべきところは多いのではないのだろうか。