監査の繁忙期だ。
昨年の今頃は、マネジャーやシニアにリードされながら(怒られながら)監査手続きをひたすらこなしていた。でも今年は自らがシニアとなり、ひとりで監査計画を立て、リスクアセスメントを行い、そしてクライアントへ乗り込む。日々、脳を酷使しているのが不思議と心地よい。
人は不思議なもので、頼ることのできる人が近くにいるときは、べつに手を抜こうなどと思ってもいないのに、脳を酷使してまで自ら結論まで至ろうというプッシュがどうしても浅くなる。ところが、落ち度があれば自分の責任、誰も助け舟を出してくれないとなると、自然とターボチャージャーが作動して、なんとかして結論まで自力で辿り着こうとする。自らの足で立ち、自身の思考によって作戦、作業を組み立てるというのはエネルギーの要ることであるが、毎日が新鮮であり発見である。前回のエントリーの「初心忘れるべからず」ではないが、自分の脳にまだ思考回路という道路が存在しないジャングルを搔き分けて進むようなもので、当然、非効率な動きも多く、失敗も多い。でもこの時が一番パワーを搾り出すときではないだろうか。
自動車を例にしてみる。200馬力、300馬力の車はいまや普通である。しかし知っているだろうか。このパワーのほとんどは発信時や急加速時のためのものだ。実は時速100キロで高速道路を巡航するだけであれば、ほんの20~30馬力で十分なのである。(車の大きさにもよるが)
確かに出だしはパワーが要る上に、まだスピードが出てない。かたや涼しい顔をして、時速120キロで巡航している車が横をぶち抜いて行く。ヘトヘトなのに、そのスピードの差を見せ付けられて、がっくりするに違いない。でも追いつくには、猛烈な負荷をかけてスピードを上げるしかないのだ。たまに、暴走車が勝手に自爆しているときもあるが。
このようなコンプレックスを感じているときは大丈夫だろう。うんとアクセルを踏みつけているはずだから。問題は巡航モードに入ったときだ。何度も通ったところには道ができ(思考回路)、より速く進めるうえに必要とするエネルギーはうんと減る。そうなるとどうしても慢心が発生する。新しいことを覚えようとしなくなる。こうなったら老いに任せて、硬直化してゆくだけだ。
120キロで巡航していた車は、やがてあとから猛烈に加速してきた車に抜かれるだけだ。抜かれてから目が覚めてアクセルを踏ん付けても、すでに勢いのついている加速車にはなかなか追いつけない。
2回にわたって、似たようなテーマを書いてみたが、要はそれだけ自分に言い聞かせているのである。今は本当にアクセルをひたすら踏むだけの立場だ。でも周囲の先輩会計士たちを見ていて、どうして同じくらいのキャリアでそれぞれこんなに能力の差がでるのだろう、と失礼ながら考えさせられる。いつかアクセルを緩めてもどうにか回るくらいの立場に到達するかもしれない。その時が一番危ない、と今から心しているのである。