Corporate Governance
日本語で「企業統治」と訳されています。
よく話題にはのぼるものの、曖昧な定義のまま語られることが多いようです。
キャドベリーレポート (1992) によると、コーポレートガバナンスとは「企業が管理・監督されるシステム」と定義されている。会社がどういったシステムで運営されているかを問うているわけです。
混同している人もいるかと思いますが、コーポレートガバナンス自体は法や規範ではなく、会社統治のシステムのことを意味しています。
以前のエントリーでも触れましたが、相次ぐ粉飾決済や経営陣の深刻な不祥事が、株主や各ステークホルダーの利益を著しく損ねてきた経緯から、明確なコーポレートガバナンスを企業に要求するようになりました。
アメリカではSOX法が上場企業の達成すべきコーポレートガバナンスをルール化して、守らない企業、経営陣に対しては刑罰が与えられます。一方イギリスでは法によるものではなく原理原則主義として Combined Code(規範)を設けて、目指すべきコーポレートガバナンスの指針を示しています。
イギリスのコーポレートガバナンス規範を例に、何を定めているか見てみますと
1)経営者の義務と役員会の機能
2)役員会、執行委員会の構成とバランス
3)決算報告の信頼性と監査
4)経営者の報酬と賞与
といった項目があります。
もし会社の統治に関する何の規定も無ければ、事実上の会社の運営・決定権を握る経営者は、その株主やステークホルダーを欺いて会社を私物化することも可能となるわけです。
赤字経営にも関わらず、常軌を逸するな役員賞与を得ていたり、もしくはストックオプションを行使するために、粉飾決済などによる株価操作を行ったりできてしまう。
その結果の被害を受けるのは、株主、従業員、銀行などをはじめとするすべてのステークホルダーです。まさにエンロンやワールドコムの巨額粉飾決済が、その最たる例でしょう。
そもそも会社とは誰のものなのか?
「法人」と言われる所以は、会社は人工の「人」であり、我々人間と同じように、権利もあれば義務も存在するということ。
その法人を大きなロボットと例えると、内部で命令を出す司令塔や、その指令通りにロボットを動かす操縦士がいて、そのロボットにお金を出している出資者がいると想像してください。
人間のように権利も義務も存在するロボットですが、そのロボット自体は誰かがお金を出して出来上がったものだし、誰かが指令を出し、誰かが操縦して、はじめて動くわけです。
このロボットが暴れてロンドン塔を破壊してしまったとしましょう。さあ、ロボットは訴えられて裁判で負けて膨大な罰金と賠償金が課されました。
でもロボットはひとりでに動いたりはしません。じゃあ本当に悪いのは誰だ?となるわけです。
ロンドン塔が壊れると分かっていてロボットの動きを指示したのか?
または指示を無視した勝手な操縦がロンドン塔破壊に導いたのか?
どうして誰も暴走を止められなかったか?
このような結果を生んだロボットの管理システムに問題はなかったのか?
膨大な罰金と賠償金は誰にふりかかるのか?
で最終的に、ロボットは誰のものなのか?
と。
コーポレートガバナンス規範は、これらの命題に対して指針を与えているのです。
ロボットの所有者は出資者であって、司令塔のものではない(アメリカ)
もしくはロボットはステークホルダー皆のものであって、特定の者のためだけではない(ヨーロッパ)
だから、ロボットの管理者はロボットの所有者に対して、ロボットの適正な操縦・保全と報告の義務を負う。
その保全体質と報告書は外部の者がチェックしなければならない(監査)。
ロボットの管理者はミッションを遂行するために過不足ない適度な給料が与えられる。で、その給料は自分で決めてはならない。
司令塔に対して冷静な意見を与えるアドバイザーを置かなければいけない。
などなど。
最後に。
モデルとなるコーポレートガバナンスはOECD主導によって世界の統一基準を目指す動きですが、上にも触れたようにアメリカは法によって強制化されている一方、イギリスはあくまで原理原則型であることなど、2つの異なるアプローチがあるし、文化や歴史といったバックグランドが全くことなる国々すべてに最適な枠組みを作るというのは難しいものがあります。
(例えば、会社は株主のものか、それともみんなのものか、とか)
また機会がありましたら、イギリスとアメリカのアプローチの違いなどをディスカッションしてみたいと思います。
って言いながら、戻って来ないことが多いですが…