インド人の会社で働いているのですが
とにかく彼らは慎重です。
(インド人すべてという言い方ではなく
うちの会社のマネジメント層が、という意味です)
特にお金の動きに関しては
恐るべき嗅覚を持っていて
怪しきもの、不明瞭なものを
一瞬で嗅ぎ分けます。
一方で、その慎重さゆえに
決断の遅さもしばしば弊害として現れる。
とにかくギリギリまで先送りします。
これは、ピーター・ドラッカー師も指摘する「先送り主義」として
日本社会の特徴としても有名ですが
内容が多少異なります。
日本の社会の先送り主義の理由は
良い点
その決断をより正確にするため
もしくは、ギリギリまで他のオプションを模索するため
悪い点
責任の所在が不明瞭なため(リーダーシップの不在)
もしくは、責任の所在を曖昧にさせるため(時間の経過を使って)
が挙げられると思います。
我が社の場合は少し異なります。
自然と決まることを待っている
言い換えると
他の選択肢がなくなるくらいの状況に追い込まれるまで待っている
といった感じでしょうか。
選択肢が消えるを待っている。
最初は、この決断方法に
じれったさや、危うさを感じ
何度も反対案を出しました。
そして、その度に
「No problem」(インド人御用達の台詞)
という答えが返ってきてました。
が、最近それも悪くないなと
思っている自分がいます。
結構振り回されますが
なんというか、スリリングさが面白いというか。
目の前のお金や人に対して
非常に慎重かつ疑い深さがある反面
それらすべてを包む「宇宙」というか
もっと大きな背後に横たわる「流れ」
というものに対しては
絶大な信頼を寄せています。
先送りして、自然と決まるのを待つというのは
天が振るサイコロにゆだねてみよう
という感覚に近いものを感じますね。