DJという、 | ロンドンで働く会計士のブログ

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昔、DJ & バンドマンだった会計士の日記

たぶん、DJ業としてはこんな悔しい思いをしたのは初めてじゃないだろうか。



インターナショナルな学生をターゲットとしたイベント。
そして場所は、テムズ川に浮かぶ船のクラブ、The Yacht Club Temple Pier。
セサールの城である。

キャパは600~700。
3フロア。

スターターとラストを預かった。
ここでは初である。

セサールからはしつこいくらい、
「とにかく場が暖まるまでは、コマーシャルに徹してくれよ」
念を押されていた。

ある程度は、R'n'B、HIPHOP 持ってるが、
僕は、ヒットチャートDJではない、と思っているから、
アクセント程度に自分の好きなものを使うだけだ。
まあ、さっさと掴んだらすぐにハウスに移行しよう、などと高をくくっていた。


10時にルーム3が開く。
人が流れてくる。
だが僕の知っている空気とは違う。
なんだろう、確実に客と僕(DJ)が分離されてゆく気配に襲われる。

そのうちブースまで入れ替わり立ち代わり、人がやってくる。

「○○○はないの?」
「×××かけてよ」

どれもがヒットチャートを上を飾った曲ばかりだ。


みるみる人は去ってゆく。
ルーム間を行き来できるという怖さ。
せっかく踊り始めても、数曲で人が流れてしまう。

これではまずいと思い、R'n'Bを切り上げ、ハウスにチェンジする。
このタイミングがまた失敗だった。

まだ全然暖まってもいないフロアからはさらに人は去ってゆく。
血の気が引いてゆく。


そしてとうとう屈辱の、「カラ」を味わった。
本当の「カラ」である。


スタッフから聞いたのだろう、セサールが駆け付けて来て
「気にするな。ちょっと代わろう」
といって準備を始めた。

「インターナショナルな学生たちは、トップチャートしか共通のものがないんだよ。
トップチャートなら、世界中のどの国の奴らでも知ってるだろ」

と言ってウィンクしてみせた。

僕はもう苦笑いできるほどの余裕すら残っていなかった。



セサールがフロアを回復させるのに30分もかからなかった。
彼がかけるのは、とにかくここ5年のアメリカン・トップ10のオンパレード。
客は踊り出す。
ブースにリクエストしに行く者もいない。

1時間もすると超満員になった。

僕はフロアの片隅で、じっと時間の経過と、客の流れと、セサールのDJを注意深く見守った。

1時から3時まで、再び僕がやる予定だった。
もちろん、相当のショックはあったが、僕は逃げたくはないので回すつもりでいた。



しかし、1時を過ぎてもセサールは交代する気配を見せなかった。
そころにはハウスに切り替わっていた。


彼に変わる気がないのなら、と
「そろそろ帰るわ。今日は勉強になったよ。いろんな意味で」
とセサールに声を掛けた。
実のところ、汚名返上のチャンスをもらうことを少し期待していた。
が、
「今日は残念だったな。こんな日もあるさ」
と勝ち誇ったように僕の肩を叩いた。

クラブを後にした。


トラファルガー・スクウェアーまでの道、
DJバッグを引きずりながら
途方もない悔しさと惨めさが込み上げて来た。

いろんな事が頭の中をものすごいスピードで駆け巡ってゆく。
大声で
「ちっくしょーー!!!!!」
となんども叫んだ。

酔っ払いと思われ、すれ違う人たちはみんな僕を避けてゆく。




つづく