昼にフライヤーのデータを nama bar に持っていった。
チャーリーは居なく、30分くらいで帰ってくるということなので、そのまま待つことにした。
店はジェイとポールだけだった。
僕はカウンターに座った。
ジェイがパイントグラスにビールを注いでいる。
周りを見ても、この時間だから客はいない。
いやな予感がした。
「コーク頼むよ」
僕はさりげなく伝えた。
「ほい、コーク」
と、ジェイはなみなみと注がれたビールを僕の前にコトンと置いた。
この国では、昼間からパブなどでいっぱいひっかけるのは当たり前だ。
もちろん仕事の昼休みに、である。
「おいおい、コークでいいよ」
「何言ってんだ、こんな暑いのに」
そのままジェイは仕込みをしている。
やれやれ、と僕は昼間からビールに口をつけた。
もちろん、この暑いなかビールののど越しは最高である。
でも日本人の僕には、どうしても真っ昼間からアルコールを入れるのは、気が進まない。
ポールが隣に座った。
彼はいわゆるオカマである。
そしてDJでもあって、忙しくあっちこっちを飛びまわって回してる。
だから nama bar でカウンターに入るのは週2日だけだ。
「ねえ、ちょっと聞いてよぉ」
あえてオカマ語に訳していこう(笑 でも実際そんな感じだ。
英語でも伝わってくるもんだな。
「ジャックのオヤジ、ホントあたまくるわよ!」
ジャックとは nama bar の常連で、某飲料輸入会社の社長だ。
「あのエロオヤジ、昨日あたしになんて言ったと思う?
ローライズのジーンズの上からパンツが見えてるのを見て、
『ポールはTバック履かないのか?どうせなら、ピンクでレースのやつ履けよ、ガハハハ』ってぬかしたのよ!」
マルボロに火をつけて、スーウッと細い息を、長く吐く。
女性顔負けだ。
ジェイが口を挟む。
「いや、俺も賛成だな。ただ、俺はピンクより紫の方が好みかな」
といって僕らは大爆笑した。
「ちょっと、信じらんなーい! なにこの男たち!」
と、ポールはぷいっとした。
それにしても、彼。
仕事中も内股で店内を駆け回る様はいじらしいもんである。
どういう流れか忘れたが、ポールの出生の話になった。
「あたしね、ハーフよ」
僕は驚いた。
「えっ!切っちゃたの!?」
即座にニューハーフのことだと思ったのだ。
「違うわよ! お母さんがシンガポール人ってことよ!」
「へえ。生まれもあっちなの?」
「生まれたのはヨークシャー。でもお父さんの仕事の関係で、世界中を転々としたなあ。
えっと、ブルネイでしょ。それからアモイ、香港、ドゥバイ、モスクワ。もっとあるんだけど、忘れちゃった。
世界中いろんなとこに住むのは大好き。
違う言葉、文化、景色、音楽、なにもかもが新鮮で、ずっと旅してたいなって思うの」
彼は(彼女?)は暫く旅の話を続けた。
ふと8年前のアジア放浪の旅が懐かしくなった。
「どうしても、どこの街だったか思い出せないんだけど、すっごく夕焼けが奇麗だったのを憶えてる。
あたしがまだ小っちゃいときだったんだけど、町中が真っ赤に染まるのよ。
空も、ビルも、ストリートも人もね。
赤って言うより、紫がかったピンクって感じかな。
丘の上からね、私たちが住んでる街を見渡すことができて、お母さんと一緒によく夕暮れどきに登ったなあ」
ポールは懐かしそうにちょっと遠くを見た。
「そりゃ、俺の好きな下着の色だな」
とジェイがカウンターの奥でちゃかす。
「それ、ラズベリー・シティーだわ」
僕は真顔でポールに言った。
「え? それどこの国? イギリス?」
「知らない。でもそうだよ」
ポールはちょっと考えてから言った。
「ねえ、ラズベリーシティーの話聞かせてよ。行ったことあるんでしょ」
僕は、昼間から飲んだビールの酔いにまかせて、架空の街の話をしようと思ったが、やめた。
「また今度な」
「えー。いいじゃん。ちょっとだけ」
チャーリーが帰ってきたので、僕はそのタイミングに感謝しつつ
残ったビールを飲み干して席を立った。
事務所でデザインの確認をして、プリント会社にデーターを送った。
電話では明日にも印刷は上がるということだった。
帰りにカウンターの前を通ると、ポールの姿はなかった。
ジェイは相変わらず仕込みをしている。
声をかけて、店を出た。
夏の日差しが、僕の肩を射抜く。
眩しくて、まぶたの裏がかすかに痛む。
つい先ほどの旅の話だとかが、少し遠く感じられた。